『世界の紛争地帯などで医療援助に当たる「国境なき医師団」がアフガニスタンから撤退するという。行動力と勇気の魂のようなこの団体をそこまで追い込んだのは何か。撤退を伝える短い外信記事に考え込んでしまった。
「国境なき医師団」に長い説明は不要だろう。33年前に仏で生まれ、戦争や飢餓に苦しむ世界各地へスタッフを派遣する。登録した医師らは焼く6千人。約80の国・地域で活動してきた実績で99年のノーベル平和賞を受けた。
阪神・淡路大震災では、発生翌日に医師が被災地へ入ってくれた。流血の東ティモールでも最後までとどまった。身上の瞬発力と強い使命感は危険とも背中合わせだが、活動を緩めない。そのたくましさから、「世界の救急車」とも言われる。
それほどに強固な組織がなぜ?先日スタッフ5人が何者かに殺害された。タリバンはさらに攻撃を宣言している。そんな事情が重なり合っての結論のようだが、イラクへ目が向きがちな私たちに「アフガンを忘れるな」と伝えているように思える。
見終えた後のやるせなさを今も覚えている映画に「アフガン零年」がある。現地映画人によるタリバン政権崩壊後の初作品だ。主人公の少女が虹をくぐる光景で終るはずだったが、監督は土壇場でこのシーンを切り、悲しい場面で映画を閉じた。「自由と希望はまだ描けない」のが理由である。
そのときの重苦しい気分が、今回の撤退ニュースでよみがえった。映画の中で虹が描かれるのはいつか。その日が早く訪れてほしい。』
と述べられている。
“宗教”が絡むとどうしてこうも複雑になってしまうのか。日本では考えられない。ある意味、それだけ一本気であることの裏づけだったりするだろうか。人が生きるということのよすがとしての宗教。人類の救いであるはずの宗教。一体何なんだ?と思えてしまう。
自分たちが唯一正しいのであって、他を排除してしまうという考えはどうなのかなぁ。同じ人間としてのくくりとすれば、話し合いとかで交わることがどうしてできないのだろう。