音楽って素晴らしい♪

 音楽だけのことを綴っているわけではありませんが、音楽の素晴らしさが伝えられたらと始めました。大きく路線が変わることもしばしばですが、どうぞ宜しくお願いします。

2004年07月

昨日の新聞の『正平調』というコラムに

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 『世界の紛争地帯などで医療援助に当たる「国境なき医師団」がアフガニスタンから撤退するという。行動力と勇気の魂のようなこの団体をそこまで追い込んだのは何か。撤退を伝える短い外信記事に考え込んでしまった。

 「国境なき医師団」に長い説明は不要だろう。33年前に仏で生まれ、戦争や飢餓に苦しむ世界各地へスタッフを派遣する。登録した医師らは焼く6千人。約80の国・地域で活動してきた実績で99年のノーベル平和賞を受けた。

 阪神・淡路大震災では、発生翌日に医師が被災地へ入ってくれた。流血の東ティモールでも最後までとどまった。身上の瞬発力と強い使命感は危険とも背中合わせだが、活動を緩めない。そのたくましさから、「世界の救急車」とも言われる。

 それほどに強固な組織がなぜ?先日スタッフ5人が何者かに殺害された。タリバンはさらに攻撃を宣言している。そんな事情が重なり合っての結論のようだが、イラクへ目が向きがちな私たちに「アフガンを忘れるな」と伝えているように思える。

 見終えた後のやるせなさを今も覚えている映画に「アフガン零年」がある。現地映画人によるタリバン政権崩壊後の初作品だ。主人公の少女が虹をくぐる光景で終るはずだったが、監督は土壇場でこのシーンを切り、悲しい場面で映画を閉じた。「自由と希望はまだ描けない」のが理由である。

 そのときの重苦しい気分が、今回の撤退ニュースでよみがえった。映画の中で虹が描かれるのはいつか。その日が早く訪れてほしい。』

 と述べられている。

 “宗教”が絡むとどうしてこうも複雑になってしまうのか。日本では考えられない。ある意味、それだけ一本気であることの裏づけだったりするだろうか。人が生きるということのよすがとしての宗教。人類の救いであるはずの宗教。一体何なんだ?と思えてしまう。

 自分たちが唯一正しいのであって、他を排除してしまうという考えはどうなのかなぁ。同じ人間としてのくくりとすれば、話し合いとかで交わることがどうしてできないのだろう。

ブログのタイトルを『音楽って素晴らしい』としたのは

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 というタイトルで、音楽に関連したblog作りをと頑張っていましたが、この度、日記がblogへ移行されましたので、こちらでも日記まがいのことを綴って行きたいと思います。タイトルはその都度書いて行きますので、どうぞこれからも宜しくお願いします。

 さて、イラクに目を向けてみますと、自爆テロ 68人犠牲などと言う文字が、地元紙の一面を飾っていました。

 『主権移譲後最悪の惨事 戦闘でも42人死亡』とあります。

 『[バグダッド28日共同]
 イラク中部バグバ中心部の警察署前で28日午前、自動車による自爆テロがあり、イラク保健省次官によると、市民ら68人が死亡、56人が負傷した。

 6月末の主権移譲後、最悪の惨事。今月31日から開催が発表された「国民大会議」を直前に控え、警察を標的にした自爆テロで社会不安をあおり、政治プロセスの進展を妨害しようとする武装勢力の犯行とみられる。

 またイラク中部で多国籍軍を指揮するポーランド国防省によると、バグダッド南方スワイラでは28日、イラク軍と多国籍軍の部隊が武装勢力と交戦、イラク軍兵士7人と武装勢力35人の計42人が死亡した。多国籍軍には米軍と、周辺を担当するウクライナ軍が加わっていたが、死傷者はなかった。

 バグバの自爆テロが起きたのは朝の出勤時間帯。採用応募で警察署前に並んでいた市民や、乗客で込み合うミニバスも爆発に巻き込まれた。近くには政府施設や花屋などの店舗もあり、被害が拡大した。保健省高官は、死傷者はさらに増える可能性があると述べた。

 バグバはバグダッドの北方約50キロにあり、フセイン元大統領の支持基盤で反米感情が強いスンニ・トライアングルの一角。これまでにも米軍基地などに対する武装勢力による攻撃が相次ぎ、治安が悪化している。』

 武装勢力の存在。自分たちを守るべきためのものだった筈なのに、市民まで巻き込んでしまうのは許せない。“自爆”で一人だけが犠牲になるということはあり得ないのだから。

 人間だけができるとされる“話し合い”が、どうしてここでは通用しないのだろう。“右”か“左”か。“正”か“誤”か。なんて、誰に決める権利があるのだろう。

『ムジツィーレンする喜び』

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 と題して、ウィーンの日常と音楽をこんな風にバイオリニストの服部豊子さんが紹介していましたのでそのまま引用させていただきます。

 『西洋音楽は世界中に普及し、日本でも19世紀から20世紀にかけ、国内のパイオニアや外来音楽家の活躍で根付き、ピアノ、バイオリン、その他の楽器を学ぶ人は笛続けてきた。日本の技術水準は欧米に引けをとらなくなっているのだから、自国の音楽家のコンサートにもっと耳を傾けて良いのにと思う。

 それでもウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場の来日公演に日本人が集まるのは、単に有名であるにとどまらず、何か特別な魅力を感じるからではないか。その魅力とは何か、と問うてみるかちがあると思う。

 先だって、ウィ-ン学友協会の建物に4つの小ホールが増築され、落成記念の行事が催された。四季には首相、ウィーン市長、大臣らが招待され、そこでももちろん音楽も演奏された。これらが誠に微笑ましく、ウィーン・フィルの三人のトップメンバーとその子、つまり父親と息子の三組のデュオによる共演だった。

 父親は名だたる音楽家、息子は修行期を終えたばかりの若者、彼らの音楽性はうり二つで、モーツアルトやバルトークの小品などをいかにも楽しそうに奏で、満場の拍手を浴びた、このような演奏会をウィーンでは「ムジツィーレン」(音楽する)と言う。

 わが家でも昨年暮れ、ウィーン・フィルの昔の仲間や若者を加えて室内楽の夕べを行った。夜も更け、徐々に招待客も少なくなり、知人で外務省のマウルタッシュル儀典長のご夫妻が残った。彼はやおら立ち上がるとピアノに向かい、若者たちを相手にトリオ演奏を始めた。すっかり興に乗り今度はチェロを手に取る。これがまたなかなかの腕前で、深夜二時ごろまで私たちと次々にムジツィーレンし、音楽の醍醐味を堪能した。

 ウィーン楽友協会は音楽愛好家の素人とプロの音楽家が協力して1812年に創立した。互いに個性も技術も違う相手の音を聴き合い、役割を生かし呼応することで、ハーモニーが響き躍動感が高まる。このムジツィーレンがウィーン・フィルの響きになり、歌い手も演技も一体のウィーンのオペラになる。聴衆を魅了するかぎはこのあたりにあるように思われる。

 ウィーンで音楽は、人々の生活の中に根付いている。歌い踊り、食べたり飲んだりするように音楽は日常の心の中にある。人はムジツィーレンによって心と心で対話し、音楽の喜びを共有するー私はウィーンで日々そう実感している。。。

 1977年からウィーンに移り住み、音楽活動を行っている。著書に「ウィーンびいきのウィーン暮らし」など。』

 誰もが気軽に音楽を。自然に楽器に手が出る雰囲気。実に羨ましいと思いながら読み進めていました。。。だから、音楽って素晴らしい♪

『僕と音楽との出会い』

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 というタイトルを、昨日付けの地元紙・随想欄に見つけましたので、そのまま引用させていただきます。

 『もし音楽がなかったら、どんなに退屈な毎日だっただろうか。音楽は人の心を癒してくれたり楽しませてくれ、毎日の生活から音楽を取り除くと空っぽになってしまうと思う。

 僕は音楽好きの父親の影響で、小さい頃から音楽を聴いていた。家にあったピアノを弾いてみると、今まで経験したことのないほど楽しさでいっぱいになった。音楽が持つエネルギーに心を奪われ、ピアノが大好きになった。

 ジャズの魅力は、音楽の中でも、まるで魔法のように音を操れる自由なところだ。クラシック、ポップス、ラテン、R&Bなど、様々な音楽ともブレンドできる。

 僕はあまりジャンルにこだわらない。なぜなら、昔から音楽を一つのものとして聴いていたからだ。小さい頃にはジャズやクラシックなど、ジャンルも分からずにだ。「あっこれはいいなあ」と思ったものを聴いていた。僕は今でもその感覚を忘れないようにしている。

 自分がいいと思ったことをするのは、音楽に限らず何でもする。自分の信念を曲げないで、一つのことに真剣に取り組むことはすごく大切なことだと思う。僕はこれからももっといろんなことにチャレンジしていきたい。

 もしこの世界に音楽がなかったら・・・。僕はそんな生活が想像できない。常に刺激を与えてくれる音楽に僕は感謝すると共に、これからもずっと新しいものを作っていきたいと思う。

 音楽は短い期間に休息に発展してきた。まだまだ誰もみつけていないことがたくさんある。

 新しい発見をいっぱいして、質のよい音楽をつくりたい。僕は音楽と出会えて心底、本当に良かったと思う。(まつなが・たかし=ジャズピアニスト)』

 『質のよい音楽』。。。本当に、これからもお元気でご活躍を!とお祈りします。耳から入る情報の一つでもある音楽。心地良い響きだったり、とんでもないと感じる響きだったり。『質』を求めるのは大変だと思うけど、頑張って欲しい。

今日の『正平調』から。。。

 『「母が切る七夕竹の小さけれ」虚子。星祭のきょう、七夕飾りがあちこちにできる。たくさんの願いを託されて、細い竹がしなる日である。

 目の手術を日本で受けたイラク少年は、短冊に「イラクに平和を」「戦争でけがした子どもたちが治るように」と書いた。自分と同じように、爆弾テロや米軍の爆撃で傷ついた子どもは多い。「平和」をだれよりも願う思いが竹に揺れる。

 そのイラクに駐留する自衛隊員らの家族はひたすら無事を祈る短冊だろう。主権が移譲されても国情は不安定で、流血はやまない、日中は気温50℃、テントの中でも40℃はある。過酷な異境でみる夢に、家族の飾る七夕が出るかもしれない。

 小泉首相は「選挙勝利」の短冊か。しかし参院選の各種世論調査の結果は、なべて厳しい。「世論はいろいろ」なんて軽口を言う余裕はないだろう。当初の見込みより早まった拉致被害者・曽我ひとみさんの家族との再会は、選挙対策との指摘もあって釈然としない。

 とはいえ、これで曽我さんの願いがかなえられたらそれにこしたことはない。元米兵の夫が来日できるか同化など問題は多い。しかし帰国してこのかた、独りで歩む曽我さんのつよさを見ていると、家族とも根気よく話し合っていくだろうと期待する。

 七夕でも流れる歌に「キラキラ星」がある。曽我さんが家族と会うインドネシアで、「キラキラ」とは「およそ」の意味である。おおらかな国柄を象徴する意味だ。結果を焦ることはない。曽我さん、「キラキラ」の気分でいこう。』

 と結ばれていました。ここにも一つの戦争が絡んでいるんですよね。世界に平和が訪れる日は近くはないのでしょうか。そして、曽我さん一家4人が一緒に暮らせる日は、やって来るのでしょうか。。。
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