転倒が元で、脳挫傷となって入院した、叔父。図らずも父の命日に手術をうけることになって、今は気管切開をする状態に。先ほど、いとこからの電話の音に驚いたけれど、結果は凄く良くなって来たとの報告に、胸を撫で下ろしたところ。
続けて新聞を読んでいたら、こんな記事が、神奈川の病院脳死の新生児延命中止親と相談基準なく、議論は必死などというタイトルが。
神奈川県の病院が昨年、「脳死」と診断した新生児の両親と話し合って延命治療を中止し、人工呼吸器を外していたことが5日、分かった。赤ちゃんは両親に見守られ心停止を迎えており、病院側は、脳死を判断材料に安らかな最期を模索する「緩和ケア」の実践例と位置づけている。日本上にか学界が今年実施した全国の病院実態調査では、脳死診断を機に15歳未満の子供の治療を中止する動きが複数確認された。脳死判定基準が確率していない三ヶ月未満児の今回のケースは、手探り状態が続く子供の終末医療の苦悩を示し議論を呼びそうだ。
病院は「臓器移植と無関係に、重症度を客観的に評価するのが診断の目的で、赤ちゃんの状態を親に理解してもらうのに役立った。基準が未確立であることも伝えた上で話し合いを重ね、治療を中止した」としている。
病院の説明によると、赤ちゃんは昨年8月、別の病院で仮死状態で生まれ、直後に救急搬送された男児。生後5日以降に脳死診断を実施。深昏睡や瞳孔散大、脳幹反射消失を認め、聴性脳幹反応や無呼吸テストの結果も踏まえて「脳死状態と考えられる」と判断した。
脳波は完全に平坦ではなかったが、新生児脳死の特徴と考えられるという。看護師やソーシャルワーカーも同席して両親に説明。
話し合いを重ねた上で、両親の意向を踏まえ同9月に生後18日で人工呼吸器のチューブを抜き、赤ちゃんは心停止した。
生後三ヶ月未満は脳死診断が困難とされ判定基準が未確立のため、生後三ヶ月以上を対象に旧厚生省の研究班が2000年に公表した「小児における脳死判定基準」を踏まえたという。
透明性確保へ現場苦悩
<解説>脳死診断を契機に子供の延命治療を中止する動きが5日、明らかになった。特に判定基準が未確立の新生児のケースは「死が迫ったあかちゃんの治療をどこまで続けるべきか」との重い問いに直面した新生児医療の苦悩を反映している。
治療方針選択の前提になるのは、赤ちゃんの重症度の評価だ。「治療を続けても回復の見込みがない」と医師が経験や感覚で判断するだけでよいのか、少しでも客観的な根拠はないかという切実な養成が、脳死診断につながったといえる。
脳死が絡むケースに限らず、医療現場では赤ちゃんの治療中止が「緩和ケア」 の一環として一部で行われてきた。だが、赤ちゃんに本人の意思表明はあり得ない。親の側は「できるだけのことをしてあげたい」から「何もせず自然に任せたい」までさまざまだ。揺れ動くことも珍しくない。
親の意向と赤ちゃんの「治療を受ける権利」が常に一致するわけではないところにも難しさがある。病院側が救命の可能性があるとして治療を提案しても、。重い障害を受け止められず親が拒否する場合などがそうだ。
加えて、医療従事者間でオープンな議論がなされず「親に決めさせるのは酷」と医師が独断で治療方針を決めがちな問題点も指摘されてきた。
神奈川県のケースでは医師以外のスタッフも参加し、親と何度も話し合いを重ねたという。透明性を高め、さまざまな立場から意見を交わす。判断を誤る可能性を少しでも減らすには、こうした取り組みが最低限のルールとして必要不可欠だ。。。
兄の場合は難産の末だったらしい。『オギャー』という声も母は聞かなかったと聞いている。一つの命が宿り、そしてやがて生まれる命。今こうして元気に暮らせる私が居るのも、母の苦労があったからだと、感謝せずには居られない。。。一方、私の場合は、赤ちゃんを一人この手に抱くことも出来なかったけれど、日本全国の赤ちゃんがどうか健やかにと願わずには居られない。。。
続けて新聞を読んでいたら、こんな記事が、神奈川の病院脳死の新生児延命中止親と相談基準なく、議論は必死などというタイトルが。
神奈川県の病院が昨年、「脳死」と診断した新生児の両親と話し合って延命治療を中止し、人工呼吸器を外していたことが5日、分かった。赤ちゃんは両親に見守られ心停止を迎えており、病院側は、脳死を判断材料に安らかな最期を模索する「緩和ケア」の実践例と位置づけている。日本上にか学界が今年実施した全国の病院実態調査では、脳死診断を機に15歳未満の子供の治療を中止する動きが複数確認された。脳死判定基準が確率していない三ヶ月未満児の今回のケースは、手探り状態が続く子供の終末医療の苦悩を示し議論を呼びそうだ。
病院は「臓器移植と無関係に、重症度を客観的に評価するのが診断の目的で、赤ちゃんの状態を親に理解してもらうのに役立った。基準が未確立であることも伝えた上で話し合いを重ね、治療を中止した」としている。
病院の説明によると、赤ちゃんは昨年8月、別の病院で仮死状態で生まれ、直後に救急搬送された男児。生後5日以降に脳死診断を実施。深昏睡や瞳孔散大、脳幹反射消失を認め、聴性脳幹反応や無呼吸テストの結果も踏まえて「脳死状態と考えられる」と判断した。
脳波は完全に平坦ではなかったが、新生児脳死の特徴と考えられるという。看護師やソーシャルワーカーも同席して両親に説明。
話し合いを重ねた上で、両親の意向を踏まえ同9月に生後18日で人工呼吸器のチューブを抜き、赤ちゃんは心停止した。
生後三ヶ月未満は脳死診断が困難とされ判定基準が未確立のため、生後三ヶ月以上を対象に旧厚生省の研究班が2000年に公表した「小児における脳死判定基準」を踏まえたという。
透明性確保へ現場苦悩
<解説>脳死診断を契機に子供の延命治療を中止する動きが5日、明らかになった。特に判定基準が未確立の新生児のケースは「死が迫ったあかちゃんの治療をどこまで続けるべきか」との重い問いに直面した新生児医療の苦悩を反映している。
治療方針選択の前提になるのは、赤ちゃんの重症度の評価だ。「治療を続けても回復の見込みがない」と医師が経験や感覚で判断するだけでよいのか、少しでも客観的な根拠はないかという切実な養成が、脳死診断につながったといえる。
脳死が絡むケースに限らず、医療現場では赤ちゃんの治療中止が「緩和ケア」 の一環として一部で行われてきた。だが、赤ちゃんに本人の意思表明はあり得ない。親の側は「できるだけのことをしてあげたい」から「何もせず自然に任せたい」までさまざまだ。揺れ動くことも珍しくない。
親の意向と赤ちゃんの「治療を受ける権利」が常に一致するわけではないところにも難しさがある。病院側が救命の可能性があるとして治療を提案しても、。重い障害を受け止められず親が拒否する場合などがそうだ。
加えて、医療従事者間でオープンな議論がなされず「親に決めさせるのは酷」と医師が独断で治療方針を決めがちな問題点も指摘されてきた。
神奈川県のケースでは医師以外のスタッフも参加し、親と何度も話し合いを重ねたという。透明性を高め、さまざまな立場から意見を交わす。判断を誤る可能性を少しでも減らすには、こうした取り組みが最低限のルールとして必要不可欠だ。。。
兄の場合は難産の末だったらしい。『オギャー』という声も母は聞かなかったと聞いている。一つの命が宿り、そしてやがて生まれる命。今こうして元気に暮らせる私が居るのも、母の苦労があったからだと、感謝せずには居られない。。。一方、私の場合は、赤ちゃんを一人この手に抱くことも出来なかったけれど、日本全国の赤ちゃんがどうか健やかにと願わずには居られない。。。