このブログを始めたときには、イラク戦争(?)が始まって、日本からも自衛隊が派遣されることとなり、無関心ではいられなかったのに、ずうっとご無沙汰状態。派遣期間延長の文字に胸を痛めながら、何とか無事に撤退という報道に、少しは胸を撫で下ろせた気分です。コラムのままですが、自身の記録のために、引用させていただきます。
『厳しい環境と緊張の中で活動した隊員は、十次にわたり延べ5千5百人に達した。宿営地周辺にロケット弾などの砲撃を受けたのは13回に及ぶ。車列を狙われたこともある。冷や汗がにじむようなことなら、それこそ無数にあったろう◆それでも、一発の銃弾も撃たず、一人の犠牲も出さずに、陸上自衛隊はイラク・サマワから無事に撤収を終えた。2004年1月20日、先遣隊が戦後初めて事実上の「戦地」に第一歩をしるしてからの910日間に、人道・復興支援はどんな数字を残したのか◆市民への飲料水の供給量は5万3千5百トンにのぼる。133ヵ所の学校、公共施設、道路を補修した。現地の人々の雇用は述べ48万8千人、4病院と約30の簡易医療施設が整備されて、新品の救急車が24台配備された。「新生児死亡率が3分の1になったといわれる」と防衛庁は胸を張る◆ではサマワの人々は、どう受け止めたのだろう。手がかりとして共同通信が実施した住民意識調査がある。この6月の調査で「支援に満足」の回答が78.7%もあった。隊員が汗を流した活動が、復興に貢献したことは間違いないだろう◆といって、万々歳というわけではない。「高層ビルが並び、地下鉄が通る」。経済大国に過剰な期待もあったようだ。共同通信の現地通信員を務めたモハメドさんは語る。「私の実感では市民の満足度は60%どまりだろう」◆送り出した政府は、どう採点するのだろうか。よかった、よかった、と胸をなでおろすのは、まだ早い。』
国家的にも相当な予算が費やされた自衛隊のイラク派遣。。。無事に日本の地を踏むことが出来ただけでも良かったとするべきなのかなぁ。長い間、お疲れ様でした!
『厳しい環境と緊張の中で活動した隊員は、十次にわたり延べ5千5百人に達した。宿営地周辺にロケット弾などの砲撃を受けたのは13回に及ぶ。車列を狙われたこともある。冷や汗がにじむようなことなら、それこそ無数にあったろう◆それでも、一発の銃弾も撃たず、一人の犠牲も出さずに、陸上自衛隊はイラク・サマワから無事に撤収を終えた。2004年1月20日、先遣隊が戦後初めて事実上の「戦地」に第一歩をしるしてからの910日間に、人道・復興支援はどんな数字を残したのか◆市民への飲料水の供給量は5万3千5百トンにのぼる。133ヵ所の学校、公共施設、道路を補修した。現地の人々の雇用は述べ48万8千人、4病院と約30の簡易医療施設が整備されて、新品の救急車が24台配備された。「新生児死亡率が3分の1になったといわれる」と防衛庁は胸を張る◆ではサマワの人々は、どう受け止めたのだろう。手がかりとして共同通信が実施した住民意識調査がある。この6月の調査で「支援に満足」の回答が78.7%もあった。隊員が汗を流した活動が、復興に貢献したことは間違いないだろう◆といって、万々歳というわけではない。「高層ビルが並び、地下鉄が通る」。経済大国に過剰な期待もあったようだ。共同通信の現地通信員を務めたモハメドさんは語る。「私の実感では市民の満足度は60%どまりだろう」◆送り出した政府は、どう採点するのだろうか。よかった、よかった、と胸をなでおろすのは、まだ早い。』
国家的にも相当な予算が費やされた自衛隊のイラク派遣。。。無事に日本の地を踏むことが出来ただけでも良かったとするべきなのかなぁ。長い間、お疲れ様でした!