音楽って素晴らしい♪

 音楽だけのことを綴っているわけではありませんが、音楽の素晴らしさが伝えられたらと始めました。大きく路線が変わることもしばしばですが、どうぞ宜しくお願いします。

2006年11月

『テーマは宇宙』

 「プラネタリウムで演奏会」というタイトルを見つけたのは地元紙の地域ニュース欄。天文科学館で神戸大の学生の文字が。そのまま引用させていただきます。

 『神戸大学発達科学部の学生らが宇宙をテーマに作った曲を披露するコンサート「宇宙と音楽の夕べ~12のプレリュード」が23日、明石市人丸町の同市天文科学館で開かれた。訪れた役270人は、プラネタリウムに投影された星空の下で響き渡る幻想的な音色をじっくりと楽しんだ。

 同学部音楽表現論コースの田村文生助教授のゼミで学ぶ学生や大学院生ら。同ゼミでは毎年、テーマを決めて学生らが曲を作り、テーマにふさわしい会場で演奏している。今年のテーマは「宇宙」で、6月ごろから作曲と演奏練習をしてきた。

 ゼミ生は12人。それぞれが2~7分の曲を作り、同大学交響楽団員らを加えた32人で演奏した。

 「星座の崩れ~夏彦と香織」という曲は、約1万2千年後に織姫星が北極星となり、ひこ星が周囲を回るという天文現象をイメージしたという。

 プラネタリウムで、その時代に見られる星空を投影する演出もあった。中には、のこぎりを楽器として使った曲もあった。

 同大4年の林萌子さん=神戸市灘区=は「音楽に置き換えて表現する難しさを感じました。反省を生かしていい作品を作っていきたいです」と話していた。(川口洋光)』

 『宇宙』の様な壮大なテーマを与えられたら、一体どんな曲が思いつくだろう。ホルストの『惑星』なんてあったなぁ。人間なんて、そういえば、宇宙からすると何てちっぽけなんだろう。塵の一つに過ぎないんじゃないか。なんて思うことがある。目の前に広がる海でさえ実は限界があるのに、雄大な気持ちにさせられる。それが果てしない宇宙となると。。。ちゃんと曲に出来てしまうところが凄いと思う。

『湯川秀樹・朝永振一郎 生誕100年』

 というタイトルを見つけたのは11月15日付け地元紙の文化欄。更に京都大で記念典などとある。そのまま引用させていただきます。

 『物理学の世界で、1905年は「奇跡の年」と呼ばれる。アインシュタインが歴史的論文を3つも書いたからだ。その余韻さめやらぬころ、後に物理学の新分野を開くことになる。2人の巨人が極東の島国に生まれた。湯川秀樹と朝永振一郎。大学の同級生の2人は、かなり似通った人生を歩み、それでいて対照的だった。生誕から百年。2人が学んだ京都大では、同大総合博物館(京都市左京区)で「生誕百年記念典」を開催。写真や論文などで、2人の業績を振り返る展示だ。(武藤邦生)

 共通性と対照性が同居

 湯川(1907-81)と朝永(06-79)は、ともに京都大教授の家に育ち、京都一中、第三高等学校、京都大理学部を学んだ。朝永が1学年先輩だったが、朝永の病気もあり、三高以後は同学年となった。
 
 2人とも優秀だったが、試験で常に満点の「秀才型」朝永に対し、湯川は教科書以外の解法を探す「天才型」。独創的な仮説を提唱する湯川と、整然とした理論を構築する朝永の対照的な学風が、すでにうかがえる。

 2人が大学に入学した26年は、物理学の大革命の年だ。従来の物理学では理解不能な、ミクロの世界を記述する「量子力学」が誕生したのだ。

 「量子力学の誕生は物理学だけでなく科学全体における二十世紀最大のエポック。2人はこの極めて特殊な時代に居合わせた、いわば“時代の子”だった」と、京都大名誉教授の佐藤文隆・甲南大特別客員教授は話す。事実、2人と近い世代には、ほかにも「時代の子」の大物理学者が集中する。
 
 2人は同じ研究室で、机を並べて量子力学を学んだ。教科書などない新分野で2人の“先生”は、主にドイツ語の原論文だった。
 
 34年、大阪大に移っていた湯川が、第一論文「素粒子の相互作用について1」を書き、その中で「中間子」という未知の粒子を予言。47年に存在が確認され、理論の正しさが証明された。湯川には49年、日本初のノーベル賞が贈られた。
 
 そのため湯川の主業績は、一般に「中間子の存在の予言」だとされる。だが「中間子は“一例”にすぎない」と、佐藤氏は指摘する。「湯川の業績は、“素粒子物理”という新分野を創始したこと。中間子はそれを説明するための一つの具体例だった」という。

 一方の朝永は、戦争の真っただ中で、素粒子論に相対性理論を取り入れた「超多時間理論」を完成。戦後の48年、それを実際の計算に応用した「くりこみ理論」を発表した。朝永も65年にノーベル賞を受賞した。

 「二人の業績は物理学にとどまらない。文化全般にわたっての巨人だった」と、京都大起訴物理学研究所の九後太一所長はいう。

 同研究所は湯川のノーベル賞受賞を記念して設立されたが、その運営精神には2人の学問に対する思想が反映されているという。「欧米の研究所の雰囲気を導入し、自由活発な議論ができる、新しい研究システムをつくった。そのために関連の法律まで改正した」と九後氏は話す。

 ともに平和運動にも尽力した。核兵器の脅威が増す中、2人は科学者による思想を超えた平和会議「パグウォッシュ会議」に参加し、国内では「科学者京都会議」の設立を呼びかけた。

 そして2人とも、一般書を含め大量の著作を残した。

 「学者」としては、正反対の後半生だった。湯川は退官まで研究を続け、結果には恵まれなかったが、壮大なテーマに取り組んだ。朝永は研究の第一線を退き、東京教育大(現・筑波大)学長、日本学術会議会長などとして活躍した。

 2人の人生は、晩年に至っても、「共通性」と「対照性」が同居していたようだ。

 記念典は、来年1月28日まで。同博物館?075・753・3272』
 
 アインシュタイン博士は日本にも足を運ばれたことがあるらしい。さて、今の日本をご覧になって発せられる第一声は。。。? 

ラムサール条約。。。

 ちょっと気になった新聞記事を、いつかはUPしたいと溜めておいた中から、11月12日付け地元紙(神戸新聞)の『正平調』を引用させていただきます。

 『秋の夕暮れは干潟を一段と引き立てる。潮が引いた砂地は波形の模様を描き、黄金色に輝く。播磨灘を望む、たつの市御津町の新舞子浜は東西約1.5キロ、最大幅5百メートルの遠浅の海である。瀬戸内海が戦後、次々と埋め立てられる中で、奇跡的に残った◆長い歳月をかけて砂や泥を堆積(たいせき)し、陸地から運び込まれた栄養分が多様な生物をはぐくんできた。渡り鳥の格好の中継地であり、潮干狩りや海水浴の場にもなる。さらに、魚類の産卵地として漁場を支える◆住民グループ「播磨灘を守る会」は、国際的に貴重な湿地を保全する「ラムサール条約」に、新舞子浜の登録を目指す。代表の青木敬介さんは「人と自然が共生するシンボルの地にしたい」と願う◆守る会は今年、結成35周年を迎えた。工場立地による埋め立てや油濁汚染、赤潮被害から海を守りたいーの一念で活動を続けてきた。だが、巨大埋め立てはやむことなく、戦後の瀬戸内海全域の埋め立て面積は3万8千ヘクタールを超える。その半分近くが大阪湾と播磨灘だ◆新舞子浜は、市民に残された「希望の場所」のように思える。守る会による現地調査で、今年もハクセンシオマネキやウモレマメガニなど、希少種が多数見つかったが、より大切なのは、生物多様性を支えてきた自然海岸そのものだ◆ラムサール条約に登録された日本の湿地は33ヵ所に上るが、残念なことに瀬戸内海は空白地帯である。子どもたちに豊穣(ほうじょう)の海を残せるか。新たな登録地を決める次回の会議は2008年、韓国で開かれる。』
 
 ということは2年後に迫っている。瀬戸内海が空白地帯だったこと、とても残念。先日高松市へ行ったとき、少しの間川沿いの道を歩いていたら、鴨が居る。サギも居る。青サギも気持ち良さそうな。ただ、私の顔に驚いて青サギは上空へ。暫くビルの屋上から私の様子を眺めていたけど、あの後川へ戻れたのかなぁ。ランチタイムに邪魔をしてしまった、私はいけない人。。。?

『ポール・モーリア氏死去』

 というタイトルを見つけたのは5日付けの地元紙の社会欄。いよいよその日が来たかぁ。という寂しさと残念で一杯。地元紙ではこんな風に紹介されていました。。。
 
 『「恋はみずいろ」作曲、指揮81歳 ポール・モーリア死死去
【パリ4日共同】フランス公共ラジオによると、「恋はみずいろ」などの演奏で知られる指揮者で、作曲家のポール・モーリア氏が3日、フランス南部ペルピニャンで死去した。81歳。家族らが4日朝明らかにした。
 1925年、フランス南部マルセイユ生まれ。ポピュラー音楽で数々のヒット作を手掛け「恋はみずいろ」は世界的ヒットとなった。たびたび来日するなど、日本にも数多くのファンがいる。』
 
 結局は一度しか生演奏を聴く機会は無かったかなぁ。厚生年金だったか、フェスティバルだったか覚えてはいないけど。また、ブラスバンドでも演奏したかなぁ。ポール・モーリアの曲ばかりを選んで特集を組んだら、顧問の先生から指摘されたっけ。でも、良い曲が沢山あって。。。81歳での他界なら年齢に不足は無いかも知れないけど、本当に残念。どうぞ安らかに。。。
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