音楽って素晴らしい♪

 音楽だけのことを綴っているわけではありませんが、音楽の素晴らしさが伝えられたらと始めました。大きく路線が変わることもしばしばですが、どうぞ宜しくお願いします。

2006年12月

『命の尊さ伝える最高の場』

 12月24日付産経新聞の第一面には、死を考える 第6部葬送の行方 の7回目として、命の尊さ伝える最高の場 として述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。

 『白いユリや紫色のカトレアをあしらった小さな祭壇には、孫の幼稚園で撮った故人お気に入りの写真が遺影として飾られ、両脇の「親族一同」という供花だけが目立っていた。今年3月、堺市の市立斎場で営まれた井上恵美さんの母、啓子さん(享年55)の葬儀は典型的な「家族葬」だった。

 胆管がんで昨年10月から入退院を繰り返した末の最期だった。遺体には、買っただけでほとんど袖を通すことのなかった赤いバラの柄のツーピースを着せた。長い闘病生活をねぎらい、風呂で全身を洗ってあげる湯灌(ゆかん)もした。派手さはなくとも、心を込めて見送ったつもりだった。それでも恵美さんには心残りがあった。

 「友達の多い人だったから、もっとにぎやかにお別れさせたほうがよかったかな、と・・・」

 家族葬を選択したのは恵美さん本人だった。小さな孫たちも含めた20人の親族を除けば、参列者は通夜も併せて計10人。一家が大阪北部から堺に越して2年ほどだったこともあり、知人らに遠くまで来てもらうのは申し訳ない思いもあった。まだ故人の死を知らない友人も多いという。

 「お付き合いで何百人来られても、見送る側が手抜きになる気がする。母も『構へん、構へん』と言ってくれると思う。でも、やっぱり、たくさんの人に母を見送ってほしかった。『このきれいな顔を、みんなもっと見てちょうだい』と大声で叫びたかった。

     ▽▽     ▲▲

 死者の弔い方に正解はない。故人を最も知る家族であっても、迷いは尽きない。大阪市天王寺区にある浄土宗一心寺の門をくぐると、そうした思いが強くなる。大阪では古くから「一心寺さん」と親しまれるこの寺には、人間の遺骨で造られた等身大の骨仏がある。

 かつては喉仏(のどぼとけ)などの一部を分骨する遺族が多かったが、最近ではすべて納める人が多いという。前住職で長老と呼ばれる高口恭行師は「核家族化が進んで墓地や仏壇のない家が多いことも無関係ではないと思います。骨仏になれば無縁化せず、寂しくないと考えるのでしょう」。

 戦災で6体が失われたが、戦後も10年おきに造られ、年内までに納められた遺骨で来春7体目が開眼する。すでに6月末で10年前を1万人余り上回る16万3千人分が集まった。通常の塑像とほぼ同じ工程で、仏像の型にパウダー状にした遺骨と石膏(せっこう)を混ぜたものを流して形を造るという。

 恵美さんの母の遺骨もここに入る。祖父母のときもそうした。「お墓を建てても、私には娘だけ。いずれお参りする家族が途絶えるかもしれないという思いもあります」

 境内には、恵美さんのような納骨希望者や参拝客が後を絶たない。一方で、いったんお骨を預けた人が突然、返却を求めるケースも少なからずある。「墓地でなくてよかったのか」「大勢の人と一緒に祭るだけでいいのか」という迷いだ。

 祖父の代から骨仏の制作にあたる彫刻家、今村源氏は「一心寺のような存在はいつの世にも必要だし、自分が造る骨仏に意義を感じてくれる人がいるのは大変な光栄」としながらも、こう付け加えた。「私自身、遺骨が入るべき本来の場所は骨仏とは違うのではないかという思いも正直あります」

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 「東京・生と死を考える会」世話人で、葬儀社に勤める桜井豊さんは先月、忘れられない葬儀に出会った。夫を亡くした50代の夫婦。妻は、僧侶の代わりにキーボードとバイオリン奏者を会場に呼んでもらった。

 演奏曲はサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。新婚時代、小さなアパートで聴いた2人の思い出の曲だった。妻は前奏が始まった瞬間、崩れ落ち、慟哭(どうこく)した。

 桜井さんは「葬儀は死者を死者として受け止めるための大切なプロセスであり、おざなりにすれば区切りの付け方を永遠に奪われることになる。形式にこだわるより、自分なりの方法で、納骨するまで泣いたほうがいい」と話した上で、簡素化だけを目的にした最近の葬儀の風潮については、こう釘(くぎ)を刺す。

 「例えば、一緒に住んでいなくても、正月にお年玉をくれる祖父や祖母がいつの間にか消えていたら子供はどう思うか。言葉では説明し尽せない人の死を否応なく突きつける葬送の場は、命の尊さを伝える最高の場所だと思うのです」

 幸いにも、小学生になる恵美さんの娘や、そのいとこたちは、祖母の死を実感していた。出棺が近づくまで何度も棺桶をのぞきこんでは声を上げて泣き、その都度、顔をなぜた。大粒の涙が遺体のほおに落ちた。

 「おばあちゃん、お別れや」「今までありがとう」・・・。

 サルは、他のサルが死んでも、自分の未来の姿とは思わないという。「死」という概念を持つ動物は人間だけである。人間だけが悲しみ、悩み、恐れ、それを乗り越えて生きていかねばならない。死を考えるのは、人間だからである。=おわり

 (連載は、皆川豪志、徳光一輝、島和稔、西川正孝、松本学、乙津綾子が担当しました)』

 義父が逝き、父が逝ったのはその10年後。そして父には弟夫妻までもがこの世を去ってしまった。父には妹の死がとてもきつかったようで、その妹の檀那様が逝ったときの辛さといったら。肺気腫を患った父が緊急入院したとき、元気にお見舞いに来てくださった、その叔父が先に逝ってしまうとは思いも寄らなかったと思う。出来ることなら一番先に逝って、そんな悲しみを味わいたくはないけど、こればかりは。。。

 結局義父にも、父にもお茶一杯汲んであげることなく逝ってしまった。今頃二人で笑顔でも交わしていると良いけど。。。遺された二人の奥さんが元気で居ることが私たちの救いになっています。これからも見守り続けてください。

『モーツァルトブームに』

 地元紙の文化欄に06芸能回顧・クラシック&舞踊 というのが載っていたので、そのまま引用させていただきます。

 クラシック音楽界は、1月に生誕250年を迎えたモーツァルトに沸いた一年だった。

 ■節目のイベント

 各地ではコンサートが開かれ8月にモーツァルトの生地で開かれたザルツブルク音楽祭ではピアニスト小菅優がデビューした。クラシックファン向きの全集などに加え、コンビレーションやジャズバンドのアレンジ作品などで新たなモーツァルトファンを開拓した。

 東京・丸の内ではゴールデンウイークに音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」を開催。モーツァルトを特集し、約70万人が訪れた。

 モーツァルトの影に隠れがちだったが、生誕百年のショスタコービッチや没後150年のシューマンも注目を集めた。

 ■のだめ効果も

 鳥の冬季五輪女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香や、音大生の生活をコミカルに描いた漫画「のだめカンタービレ」のドラマ化による効果で話題を呼んだ。

 荒川が五輪で使用したプッチーニのオペラ「トゥーランドット」からアリア「誰も寝てはならぬ」、ケルティック・ウーマンの「ユー・レイズ・ミー・アップ」が大ヒット。携帯電話向けの音楽配信「着うた」のダウンロード数が急増した。

 「のだめー」のドラマ化は、昨年からのブームに拍車を掛けた。ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」など劇中で使用された曲を中心に、クラシック音楽に若者たちの関心を集めるのに一役買った。

 ■巨匠たちの動き

 巨匠たちに眼を移すと、ズービン・メータ、ロリン・マゼールらが次々に来日。ニコラウス・アーノンクールは、26年ぶりの来日公演で、古楽器演奏の魅力をアピールした。小澤征爾は病気で半年間休養、ファンを心配させたが、7月に本格的に復帰した。

 6月には、日本の音楽界をけん引してきた指揮者岩城宏之、作曲家高木東六が死去。モッフォ、シュワルツコップと世界的なソプラノ歌手も相次いで他界した。

 舞踊の分野では、3年に1回の世界バレエフェスティバルが開かれ、世界のトップダンサーが日本に集結。秋には英国ロイヤルバレエのプリマドンナ吉田都が、熊川哲也のKバレエカンパニーに移籍。舞踊家大野一雄が百歳の誕生日を迎えた。

 関西経済連合会の秋山喜久会長が4月、大阪に4つのプロオーケストラがあるのは多すぎるとして、「一つの団体に集約すべき」と発言。音楽ファンや楽団側が反発し、オーケストラ論議を巻き起こした。

 老舗歌劇団体「関西歌劇団」を運営、文化庁などからの助成金不正受給が問題化していた財団法人関西芸術文化協会が自己破産を申請。6月に発足した特定非営利活動法人(NPO法人)関西芸術振興会が、同歌劇団を運営することになった。

 9月に神戸国際芸術祭が開かれるなど、神戸・大阪で計3つの音楽祭があった。乳児向けのコンサートなど、趣向を凝らした公演が聴衆を沸かせた。兵庫県立芸術文化センターは7月、オペラ「蝶々夫人」で異例の8公演を実現。また、生誕百周年を来年に控えた神戸出身の作曲家大沢寿人を特集する演奏会が、同センターなどで相次いで開かれた。(佐藤由里)』

 結局、今年はもう私にとって足を運ぶことが無くなってしまった、兵庫県立芸術文化センター。一度は訪れてみたい。さて、どんなコンサートが私を招いてくれることになるのやら。

 さて、淡路島洲本市文化体育館文化ホール(しばえもん座)で12月25日に行われる、クリスマスコンサート。チェロアンサンブルエクラ=12人のチェリストがずらりと勢揃い。こんな機会は滅多と無いチャンス。まだまだチケットは余っているとのこと。この機会に是非!夕方6時半開場・開演は午後7時から。前売りは1000円。
 『クリスマスの夜を楽しく過ごしていただこうと企画したコンサートです。皆様お誘い合わせの上、ご来場賜りますようお願い申し上げます。』
 宜しかったらご一緒に。。。

『イラク認識“失言”に真実』

 19日付け地元紙の総合欄に 政治を読む というコラムがあり、変わらぬ日本、欧米反省という副題が付いていましたので、そのまま引用させていただきます。
 
 『久間章生防衛庁長官が参院外交防衛委員会で、イラク戦争に関する小泉前首相の米国支持発言について「政府として公式に言ったのではなく、コメントとして首相がマスコミに言ったことだ」と答弁した。大方の人はこの発言に「そんなバカな」と仰天しただろう。当然のことながら、当時の小泉首相が「武力行使を理解し、支持する」と表明し、内閣はイラク戦争支持を首相談話として閣議決定している。久間氏はすぐに「間違いで認識不足だった」と前言を撤回した。

 ただ日本がイラク戦争支持なんてしていなければ、と今にして思う。久間氏も同じような思いが常日ごろ頭の中にあるのだろう。イラク戦争支持には「あまりそういう気持ちはない。早まったのではないかという思いがしていた。個人として今でもそう思っている。もう少し良い方法があったのではないか」と言っている。米国のイラク戦争支持について、こんなふうに納得できない気持ちを引きずっている人は少なくないのではないか。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は「明らかな認識の誤りだ。明確に閣議決定で指示しているという基本的なことを知らない人が、なぜ防衛庁長官なのか」と、ここを先途と攻める。鳩山氏は政治としては正しい対応をしているのだろう。この場面で批判されるべきは、イラク戦争を支持した小泉内閣ではなく、久間氏というわけだ。

 しかし久間氏の思いが分かる人は多いのではないか。とすると鳩山氏は普通の人の思いの機微へ目配りができていない。明らかな内閣不一致をあげつらうより、久間氏の考えをじっくり聞きただしてみるといった対応を思い付かなかったのだろうか。「(イラク戦争開戦の段階では)イラクが大量破壊兵器をもっているという考えにいたる合理的理由があった」という安倍晋三首相の発言の方が、ずっと情けなく思う。

 イラク情勢は悪化し、内戦に近い状態という。米国では「イラク研究グループ」の報告書が出て、駐留米軍の2008年3月撤退を目標とすることや、イラク周辺で米国と対立しているイラン、シリアとの対話を含めた外交努力を求めている。米国でも英国でも深刻な反省の時期を迎えている。

 なのに遠く離れた日本では開戦時と同じ認識で凝り固まっている。久間発言を認識間違いから出た「まこと」として、現状を踏まえたイラク認識が出てこないのだろうか。報告書は「周辺国や日本を含む主要国による支援グループの設立」にも言及している。(共同通信編集委員 榊原元広)』

 益々内戦化していくイラク。宗教対立というのは、日本では考えられないことだけに、そこまで一生懸命になれることを私はある意味羨ましく思えたりするけど、物事には表裏があって、だから正しいなどとは言えない。信じて疑わないことを、ある人は間違いだと言い、ある人は正しいと主張する。歩み寄れないのであれば、それぞれが独立しか取る道は無いのかなぁ。もう、これ以上人が人の犠牲になるなんてこと、あってはならないと思う。

『賛否あって民主主義』

 16日付地元紙の文化欄に論考06・佐藤俊樹 として載せられていたのをそのまま引用させていただきます。

 「ジェンダーフリー」の評判がずいぶん悪い。政府も使うのをやめた。東京都の公的施設では、ジェンダーフリーがらみの催しは一切認めないらしい。教育再生や、北朝鮮やイラクに比べて、一見地味で目立たないが、この話、とても重要な問題だと思う。

 ▽フェミニズムが苦手

 正直いうと、私はフェミニズムが苦手である。何でも「男の権力」に結びつけるのには閉口するし、切り口上の告発区長も好きにはなれない。学問の世界でいえば、欧米の有名な学者の話をそのままコピーする人も多い。「自立を唱えるなら、まず自分の頭で考えろ」といいたくなる。

 だから、はっきりいって、私はフェミニズムに理解がない人間の一人だと思う。しかし、そんな私にとっても、今の「ジェンダーフリー」叩(たた)きはすごく変に見える。根本的なところで誤解しているのではなかろうか。

 なかには、「男の子も女の子も同じ部屋で着替える」ことだと誤解している人までいる。「フリーセックス」かなにかを連想したのだろうか。この辺になると、誤解する側に問題がありすぎだが、常識的な人でも、いやジェンダーフリー推進派の人でも、はまりやすい誤解がある。

 ▽男だから女だから

 ジェンダーフリーというのは、「男だから○○する」「女だからXXする」と決めつけるのはやめよう、という話だ。それ以上でも、それ以下でもない。具体的にいえば、「女の子だから料理をするのがあたりまえ」と決めつけるのをやめる。ただそれだけで、すべての男性と女性に同じように料理させろ、という主張ではない。それは「男だから」「女だから○○せよ」と同じことで、ジェンダーフリーの原則に背く。

 要するに、「男」や「女」を理由にして押し付けるのをやめる。本人が本当に好きなら、どんどんやればいい、ということだ。

 だから、ジェンダーフリーは、フェミニズムに反対する人、つまり男らしさや女らしさがもって生まれた性質だと考える人たちにとっても、望ましいあり方なのである。男らしさや女らしさが本当にもって生まれたものならば、ジェンダーフリーにしてしまえば、大多数の男性は男らしく、大多数の女性は女らしくふるまうからだ。

 それは「男の押しつけ」をふりかざすフェミニズムに対して、最も強力な反論になる。男らしさや女らしさが自然なものだと科学的に証明できる、絶好の機会でもあるのだ。だから、フェミニズムが間違っているというのなら、むしろ率先して、ジェンダーフリーを進めた方がよい。客観的事実として出てくれば、相手はぐうの音もでなくなるだろう。

 ▽間違うのが人間

 ジェンダーフリーに大きな欠点があるとしたら、コストがかかる点だ。例えば高校の必修科目未履修問題でも出てきたが、家庭科と技術科を両方学ぶようにすると、手間はかかる。一人一人がどちらも選べるようにするには、どちらも最低限の技能は身につけていないといけない。そういう風に育つよう、制度を整えるのはお金も人手もかかる。それが欠点だが、今の日本はそのくらいは豊かな社会になったと思う。ならば、誰もが納得できる形でやるのが、一番いい。

 もしかすると、ジェンダーフリーに反対する人は、「男らしさや女らしさは生まれついてのものだ」という信念を実験で検証すること自体が嫌なのかもしれない。話すというのは、仮定の上にせよ、その信念が間違えている可能性を視野にいれることだからだ。

 私も保守的な人間なので、そういう気持ちはわからないでもない。だが、自分は絶対的に正しいとするのは、民主主義ではやってはいけない反則である。フェミニズムに反対する人も、賛成する人も、お互い間違うかもしれない人間として、いっしょにやっていく。それが民主主義の大原則でもあり、あえていえば「日本人らしい和の心」でもあるのではないか。

 そういう原則や心を見失うとき、私たちは男らしさや女らしさよりも、もっと大事なものをなくす。私にはそう思えてならない。(東大助教授)』

 家事での役割を分担するということを、若い世代なら何の抵抗もなくこなしてしまえるのかも知れない。「お茶」と言われれば食事中でも席を立って行ってお茶を汲まなければならない奥様方は、この国にはまだまだ大勢いらっしゃると思う。自分に出来ることなら、男性、女性に関わらず人に頼ることなく自分で。が基本ということになって欲しいし、またその様に仕向けて行くのも、家族の義務だったりするのかなぁ。息子さんにはつい甘い顔をしてしまうお母様方にも、ここは将来のお嫁さんの為に頑張って欲しいところ。

『「赤とんぼ」の正体』

 地元紙で紹介されている、ふるさと知の紀行の38回目。自然の旅人「赤とんぼ」の正体 更に生態、地域めぐり議論の文字が気になりましたのでそのまま引用させていただきます。

 「昆虫考証学」とでも呼ぼうか。文学に登場した「虫」を題材に、その種類を特定する。

 「暇人のやること」と、軽んじてはならない。

 結果は文学そのものの解釈にも影響する。

 有名な話がある。
 
 閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉(せみ)の声

 松尾芭蕉(ばしょう)の句をめぐって昭和の初め、精神科医で歌人の斉藤茂吉と、夏目漱石(そうせき)門下で文芸評論家の小宮豊隆(とよたか)が、激しい「蝉論争」を繰り広げた。

 茂吉は「蝉時雨のような力強い鳴き方はアブラゼミだ」と主張した。小宮は「“閑かさや”とか“岩にしみ入る”という表現は、威勢よく鳴くアブラゼミにはふさわしくない。声が細く澄み切っているニイニイゼミであろう」とした。

 山形県出身の茂吉は一歩も譲らず大論争となったが、結論はすんなりと付いた。茂吉自身が実際にセミを調べたのだ。

 芭蕉がこの句を詠んだのは、「奥の細道」の折り返し点、出羽(でわ)、立石寺(りっしゃくじ)だった。1689(元禄2)年5月27日。新暦に直すと7月13日になる。

 そのころ見られたのはニイニイゼミが大半だった。アブラゼミは、東京でこそ鳴いていたが北国では、いまだ真夏を迎えていなかったのだ。

 ■トンボも論争に

 龍野が生んだ偉大な詩人・三木露風の童謡「赤とんぼ」も議論になった。もっとも文学の上ではなく、トンボの研究者の間ではあるが。

 セミなら候補はわずかだが、「赤とんぼ」となると、ややこしい。「赤松の郷昆虫文化館」(上郡町)の館長・相坂耕作によると、播磨には、赤トンボの仲間が15種、さらに別グループの「赤い」トンボは3種いる。候補は18種となる。ここからどう絞っていくか。

 研究者が着目したのが「とまっているよ竿(さお)の先」の歌詞だ。すぐに枝先に止まるアキアカネの生態、そのままだった。

 しかし、「夕焼け、小焼けの、赤とんぼ」、夕日を浴びて群れ飛ぶーとなると、大きな疑問が残った。アキアカネは、午後5時以降の夕焼けの中を飛ぶことはない。

 そこで、先ず登場したのが、ヤンマ説。ギンヤンマなどは、夕焼けの中を群れ飛ぶ。それが「夕日を浴びて赤く見えたのでは」という解釈だ。

 また、赤とんぼの体の色が赤いので、連想して「夕焼け、小焼けの」と付けたと考えた人も。

 ■相次ぐ新事実

 ところが、「夕焼けの群飛」がアキアカネである可能性が出てきた。1959年、新潟県の馬場金太郎博士が、夕焼けが早く訪れる東北など北の地なら、アキアカネの群飛と夕焼けが一致するという説を出した。

 さらに画期的だったのが、66年、トンボの権威・枝重夫博士による広告雑誌「森林(もりりん)商法」の発掘だ。露風自身が、童謡「赤とんぼ」の創作過程を「蜻蛉(とんぼ)随想」と題して書き残していたのだ。

 「21(大正10)年のある日午後4時ごろ」。教えに来ていた北海道・函館のトラピスト修道院の窓越しに「竿の先に止まってじっと動かない赤とんぼを見た。子どものころ夕焼けの中、草の広場に赤とんぼが飛んでいた。それを思い出して作った」(概略)とあった。

 露風は13歳のころに「赤とんぼとまっているよ竿の先」という俳句を詠んでいる。トラピスト修道院の窓から見た同じ光景に、子どものころへと思いをはせたのだろう。

 北海道で詠まれていたことからアキアカネ説の勝利とされた。日本特産種でもあり、日本の秋を象徴し、人々の心の中の故郷、「赤とんぼ」の世界を連想させるには、ふさわしい種だった。

 ■意外な種が登場

 だが、高知県・四万十(しまんと)川下流域にある「トンボ王国」の研究員だった大阪出身の一井弘行は疑問を持っていた。これまでの議論には「露風は、ふるさと龍野のトンボを詠んだのだ」という点が抜けている。それも「草の広場で赤とんぼが飛んでいた」という露風の記憶が軽視されている、と。

 90年、岩波ジュニア新書「トンボ王国へようこそ」(共著)の中で「(成熟した)赤トンボが活動するのは主に午前中、午後2時を過ぎると急に少なくなります」「秋の夕方でも群れ飛ぶ種類としてはウスバキトンボが考えられます」と、新説を出した。以前から、ウスバキトンボでは、という話はあり、76年の「静岡の自然 四季の昆虫」では、そんな説もあるとのみ紹介されているが、龍野に足を運び、観察し、書物で打ち出したのは一井が初めてだった。

 「関西では暖かい日に水田の上空をアキアカネが群れ飛ぶことはあっても、せいぜい午後4時ごろまで。夕焼けの草原の上を飛ぶのはウスバキトンボしかない」と言う。

 いわゆる「赤トンボ」の仲間ではない。少し大きく、薄オレンジの体と羽を持つ。熱帯で発生し、春以降に太平洋を渡って日本へ。卵から成虫まで1ヵ月ほどかかって、世代を繰り返しながら、日本列島を北上する。

 ■西と東で別の種類が

 トンボと日本文化を研究していた千葉県の互井(たがい)賢二が、一井の説に注目した。アキアカネとウスバキトンボを、方言の違いから迫った。

 膨大な資料を購入し、国会図書館に通った結果、「アキアカネ圏」と「ウスバキトンボ圏」が日本列島を2分するーという仮説に至った。

 本来、アキアカネは東日本に多く、東日本の人は「赤とんぼ」と言うとアキアカネを連想する。片や、西日本では、盆のころに姿を見せることから「ボントンボ」「ショウリョウ(精霊)トンボ」とも呼ぶウスバキトンボを見て「赤とんぼ」と考えている可能性を発見したのだ。

 境界線は愛知や岐阜など中部地方。ウナギの蒲焼(かばや)きを作るときに、背開きにし、蒸す工程があるのが関東、腹開きで蒸さないのが関西。この文化圏の違いが、赤とんぼのイメージの差異とも重なったという。

 三木露風が故郷・龍野で見た夕焼けの中、群れ飛ぶトンボはウスバキトンボだった可能性が出てきた。その記憶を呼び寄せるきっかけになったのは、札幌のアキアカネだったと考えるのが自然だろう。互井さんの考察である。(敬称略)(編集委員・三木進)』

 でも、理屈はどうであれ、夕焼けこやけの。。。ときたら、「赤とんぼ」と歌ってしまう。茜色だから「アキアカネ」という名が付いたのかどうか、知らないけど、「赤とんぼ」が冠になった音楽祭まで開かれる龍野。トンボたちには飛び易い環境が保たれていて欲しい。
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