音楽って素晴らしい♪

 音楽だけのことを綴っているわけではありませんが、音楽の素晴らしさが伝えられたらと始めました。大きく路線が変わることもしばしばですが、どうぞ宜しくお願いします。

2007年02月

『ピアノ曲や交響曲に挑戦』

 2月15日付け地元紙の文化欄の下の方にバイオリニストの千住真理子さんの紹介記事が載っていたので、そのまま引用させていただきます。

 『「“これって、もともとバイオリン曲じゃないの?”。そう思ってもらえればうれしい」。バイオリニスト千住真理子が、新譜「ドルチェ」でピアノ曲や交響曲に挑んだ。大好きな作品をバイオリンのために自ら編曲し演奏。「(原稿に)足りない音符を足してみたり、オクターブ多角したり」と、試行錯誤を経て完成させた。

 「ジュラシーを感じるほど、いい曲」というドビュッシー「月の光」や、「好きで好きでたまらない」と語るオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の「アヴェ・マリア」。リストアップした数十曲の中から13曲に絞った。

 「ピアノ曲をなぞるだけではだめ」「オーケストラでわーっと演奏するからいいんだ」と悩み、何度も断念しようとした。就寝後、アイデアを思い付くと起き上がってメモし、朝起きて楽器を手に試すこともあった。

 思いが実現できたのは、5年前にてに入れた名器、ストラディバリウス・デュランティのおかげだという。「いい感じで鳴るようになってきた。この楽器だったらやってくれる」。独得の音色の柔らかさを頼りに作品と向かい合った。

 「天才少女」ともてはやされ、少しのミスでも過剰な非難を浴びるように。「プレッシャーに負けて」2年間、バイオリンから離れた。復活のきっかけは、ホスピスでの演奏。「音楽とは、人とぬくもりを交換して感動すること」と気付くことができた。

 「クラシック音楽になじみの薄い人にも親近感を持ってもらいたい」と、テレビなどにもどんどん出演。コンサートでは天才作曲家たちのエピソードに触れるなど、曲の合間の話も大事にしている。

 「“テレビで見たから”と私の演奏会に足を運んでくれる人もいる。そういうお客さんの心を逃したくないんです」』

 音楽は特別な人だけが楽しむのものじゃないと思う。嬉しいときは本当に嬉しさが倍増するような、悲しいときは少し気持ちをやわらげてくれるような。そんな中で大いに感動することができるんだと思う。 

『淡路のシロチドリ』

 2月4日付け地元紙のオピニオン欄には、ふるさと知の紀行 シリーズの44回目には白砂青松の象徴 保護に父子奔走 として貴重な自然の旅人のことが紹介されていましたので、そのまま引用させていただきます。

 『淡路島 通う千鳥の無く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
 百人一首に選ばれたこの歌は平安後期の歌人、源兼昌の咲く。冬の夜に、須磨の関に近い宿でチドリの声を聞いた。チドリは連れ合いを求めて鳴くとされる。いとしい人と離れて任に当たる関守に、思いを重ねた。

 チドリの仲間は国内に12種いるが、歌のチドリは、シロチドリとされる。冬の海岸にいるのは、この鳥だけなのだ。スズメより一回り大きく、砂浜や河口に生息する。海岸線の埋め立てで全国的に減り続けている。

 淡路島ゆかりのシロチドリを、40年にわたり、研究・保護してきた父と二人の息子がいる。洲本市五色町の獣医師・故山崎千里(ちさと)と、長男で獣医師の博道(ひろみち)、二男の俊道(としみ)である。三人の物語は、そのまま島の開発と自然保護の葛藤(かっとう)の歴史でもあった。

 ■樹上でコオロギが鳴く

 話は1930(昭和5)年の夏にさかのぼる。

 洲本中(現洲本高)5年の山崎千里は、友人と小舟で福良湾の海浜生物を調べていた。櫓(ろ)が俺、漂着したのが湾内の無人島・煙島(けむりじま)であった。

 上陸すると、樹上から耳慣れない「ギィーッ」という声が聞こえてきた。声を頼りに探し当てたのが、大きく、ひげの長いコオロギだった。

 東大の動物学教室に標本を送ると、研究者が飛んできた。国内で初めて発見された南方系のクチキコオロギであった。

 これを機に東大農学部に新設された獣医学実科に進んだ。農林省の鳥獣試験場に勤め、敷地で軍馬を治療、戦後、獣医師の傍ら島の野鳥の調査に励んだ。

 ■卵が踏まれる

 50年代後半になると、農薬が使われ始め、野鳥が減った。60年代の高度成長期には、白砂青松で知られる西海岸の慶野松原にレジャー客が増えた。

 シロチドリの繁殖地でもあった。楽しそうな親子連れが、それと知らずに卵を踏みつぶす。
 
 「チドリが消えてしまう」

 旧洲本中時代の恩師、山本安郎が洲本市長になっていた。一市十町でつくる「淡路総合開発促進協議会」に実情を訴えた。71年、シロチドリは「淡路の鳥」に指定され、「淡路チドリを守る会」も結成された。

 ■雄も卵を抱く

 強力な助っ人が現れた。長男博通である。東京の獣医科大を出て北海道で働き、69年に帰郷、3年ほどシロチドリの研究に没頭した。島内を一周し生息数を調べた。1日20キロ。8日間で160キロ歩いた。10ヵ所の浜に計95羽。50年代ならどこの浜でも群れていたのに。

 数が多かったのが慶野松原。長さ3キロ幅0.5キロの砂浜だ。徹底して観察した。浜に竹を立てて、上から布をかぶせ「ブラインド」にした。カメラのレンズが出せる穴を開け、鳥が来るのをじっと待つ。西風の強い厳冬期も、繁殖期は朝夕通った。

 2年余りの研究で、年中見られるが、冬にいるのは11月に北から来て、春先に北へ。逆に夏いるのは、2月下旬に南から飛来、子育てして10月下旬まで島にいることが分かった。

 餌は2キロほど離れた三原川と大日川の中洲で、ゴカイやエビ、小さな虫などを食べる。

 4~7月、砂浜に足で浅い穴を掘り、くちばしで小石を投げ入れて巣にする。1シーズンに2回、各3個の卵を産む。

 巣に犬や猫が近づくと、親鳥は自ら羽を引きずって「擬傷(ぎしょう)」する。相手の注意をひきつけ、巣から遠ざける。

 そして、これまでは雌だけが卵を抱くと考えられていたが、日没後、20分ほどすると、突然、雄が交代することを突き止めた。雌は一晩中、エサを探し日の出前に戻ってくる。学会の定説を覆す大発見だった。

 卵がかえる割合は30%ほど。10個の巣を観察したところ、7個が失われた。原因は台風による流失と人に踏まれる例が各2件。野犬、浜の掃除、鳥の縄張り争いが各1件だった。

 ■人工繁殖に挑んだ

 父・千里らは、守る会に力を入れた。博通の生態写真や、パンフレットを町役場や学校に配った。慶野松原の砂浜の両端をチドリの生息地として立ち入り禁止の札を設けた。

 だが、危険な場所に卵を産むことも。父子は人工的に繁殖させて浜に返す方法を模索した。豊岡ではコウノトリの人工繁殖が試みられていた。

 環境庁の許可を得て72年5月、ふ卵器で人工ふ化に成功。餌には、鶏のひな用の飼料にゆで卵を混ぜ合わせたり、焼いたフナを粉末にしたりし、無事に育て上げた。数羽を放した。

 だが、79年に三原川水系が決壊し、中洲が流出、餌場がなくなり、状況は悪化した。

 ■リゾート開発の波に

 80年代になると、10年前の6割まで減った。慶野松原だけがあまり減らず「最後の楽園」となった。88年に淡路島リゾート構想が国の承認を受ける。開発が盛んになる一方で、旧津名町でも人工繁殖を行った。だが89年には砂浜に車を乗り入れる若者や、キャンパーが増えて、環境はさらに悪化した。

 淡路の自然愛好者たちの集まり「ネイチャー・アソシエイション」は、シロチドリの写真に「私達は淡路島が好きです」の言葉を添えてポスターにした。

 旧津名町の土器屋(からきや)海岸で護岸工事が始まり、生息地が破壊される心配があった。博通は「淡路野鳥の会」代表として先のグループと砂浜の保全を求めた。対策は取られた。

 91年に開発の速度が落ち、やや環境が戻った。

 93年、父・千里が78歳で他界した。博通は数年、チドリの人工繁殖に励んだ。しかし、減少は進み続けた。自然海岸は海岸線187キロのうち57キロ、砂浜は19キロになった。

 一方、二男の俊道も東京の農大を出て、地元の酪農協に勤める傍ら2人を助けていたが、73年、洲本の三熊山で、あのクチキコオロギを再発見した。父の発見から43年目、煙島以外から初の発見だった。研究に力を入れ、島内照葉樹林で次々と見つけた。毎日、夜間も通って生態を調べ上げた。大木の樹皮下にすむクチキコオロギは照葉樹林の象徴だった。

 白砂青松と照葉樹林。父と子は、淡路の海と山のシンボルを追い続けてきたのだ。現在、シロチドリは慶野松原でも数羽だけだという。博通は近く、人工繁殖を再開する。(敬称略)(編集委員・三木進)』

 涙ぐましい努力によって生態が明らかにされた、シロチドリとクチキコオロギ。自然が一杯の淡路島と思っていても実情は、砂浜は削り取られ、山は荒れ放題。歌に詠まれた時代からは千年余りだというのにこの変わりよう。自然が育んでくれたことへの感謝を忘れ過ぎてはいないだろうか。

『仕事と育児』

 2月4日付け地元紙の子育て欄に、シリーズで載っている 元気になる親子塾 シリーズの23回目。副題に 安心できる関係が大切 と述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。

 『このコラムを読んでいるお母さんの中には、お仕事を持ちながら子育てをしている人も多いかと思います。家事や仕事に追われ、限られた時間の中で子どもとかかわり、育てるのは大変なことが多いでしょう。

 朝は子どもの登校などの用意と自分の出勤準備で大忙し。「早くしなさい」と、つい子どもをせかしてしまいます。なかなか用意ができないとイライラし、最後には大声で怒って、親子ともども不愉快な1日のスタートになってしまいます。後になって、あんなに怒ってしまったけれど、大丈夫かしらと気になります。

 それでも夕方帰宅し、子どもが朝のことを忘れたように遊んでいるとホッとするのですが、今度は宿題が気になります。夕飯までに済ませてほしいのに、テレビを見ていたり、ゲームをしていたりすると、「まだ宿題をしていないの」「早くやってしまいなさい」と、また口うるさく注意することになり、夕方の忙しい時間にイライラ。翌日の用意に、食事、入浴、歯磨きもあり、子どもが寝付くまで気持ちが落ち着くことがありませんね。

 ある日、フルタイムでお勤めをしているお母さんが相談に来られました。「毎日怒りながら子育てをして、これでいいのか迷っています。時間に追われ、子どもに優しく接する余裕がなく、怒られ泣きながら寝てしまった子どもの寝顔を見ていると、親の都合で子どもに我慢をさせているのではないかとかわいそうになります。子どものために仕事を辞めたほうがいいのでしょうか」。涙を浮かべながらこう話されました。

 子どもを保育所や学童保育に預けると言うと、「子どもがかわいそう」と言われることがあります。「子どもは母親が育てるべき」という考えの人たちもありますが、必ずしもそうとは言えないのではないでしょうか。社会が女性の力を必要としている時代、母親になっても働き続けるのもライフスタイルの一つで、子どもが安心して暮らせる環境を用意してあげればいいと思います。母親とは違う人にお世話をしてもらうことの長所もたくさんあります。子どものことを客観的に知ることができ、家族以外の人たちとかかわる中で、多くの人間と接する経験を積むこともできます。

 子どもは与えられた環境に順応し、成長していきます。働いているので子どもの世話が十分にできないと、あせって口煩くなってしまうのではないでしょうか。子どもは、いつも一緒でなくてもお母さんが大好きです。時間の問題ではなく、安心できる関係が大切です。子どものできていないことばかりに目を向けないで、「あなたが頑張ってくれているから、お母さんもお仕事を頑張るね」と、少しでもできていることを認めてあげてください。子どもは安心して「協力」したくなりますね。(ファミリーカウンセラー・渡辺和美)』

 ここがお母さんの悩むところだと思う。核家族になって夫婦で子育てをしなければならない場合、仕事を辞めざるを得ないこともあるかもしれない。育児休暇なんてあっても職場環境により、自由に利用できない場合があったりする。また、せいぜいが1年間。長期にわたる場合は休職扱いになったりする。
 
 でも、例えば子育てであっても、高齢者の介護であっても、少しは離れられる時間も必要なのではないだろうか。決してサボるとか、そんなことではなく、気分を変える意味でも仕事を続けることは本人にとってもとても大切な時間な気がする。また、仕事があるからこそ張りが出て、家事なども段取り良く済ませようと努力できる気がするけど、どうなんだろう。

 折角一つ屋根の下にいても、知らない顔をされるよりは同年代の子どもがたくさんいる中で楽しいときを過ごした方が、その子にとっても良い環境な気がする。四六時中目も離せないのでは、子育てするお母さんにとっても大変過ぎる。

『楽しいよ みんなと一緒に給食』

 1月24日から30日までは、「全国学校給食週間」なのだとか。いつ定められたのか、1月24日付けの地元紙、PR特集欄でこんな記事を見つけたのでそのまま引用させていただきます。

 『体と心をつくる基本となる食事。近年、援用バランスのよい食事を子どもたち自身が選んでとるよう指導する「食育」が小学校で積極的に行われ、神戸市内でも平成17年度から「食に関する指導の充実」が教育推進アクティブプランの行動計画に盛り込まれている。

 きょう24日から30日までは、文部科学省が定めた全国学校給食週間。そこで、神戸市立北山小学校(西区北山台、国宝寛校長)の取り組みを紹介しよう。

 食生活改善へ全学年で挑む

 神戸市教育委員会健康教育課が平成18年8月にまとめた「食生活と学校給食に関する調査結果報告書」によると、保護者が朝食をとらないと児童もとらない傾向が出ている。保護者の食生活が子どもに大きく影響している。では、学校教育の場で、どのような指導をすれば、子どもたちの食生活の改善が図れるのだろうか。そこに挑戦したのが、北山小学校だ。

 同校は、平成18年度、兵庫県と神戸市から「食に関する教育研究」の指定を受け、取り組みを進めてきた。全学年を通してのテーマは“共に学ぼう、わたしたちの食生活ー食は「いのち」・「こころ」・「きずな」・「文化」-”国宝校長は「子どものうちに、自分の食事に興味と知識をもち、実行できる力をつければ、将来子育てをするときに、必ず役立ちます。健全な心と体を培ってほしい」と、食の重要性を強調する。

 学年に応じて、1年生は「楽しく食べる」、2年生は「食べ物の行方」、3年生は「丈夫な体をつくる」、「4年生は「噛(か)む」、5年生は「おやつ」、6年生は「生活習慣病と和食」をテーマに学習した。自分たちで野菜を収穫し、調理するなど、子どもたち自身が食事に関心を持つよう、指導が進められた。

 実際に、今年度に入ってから、嫌いなものでも食べられるようになった子どもが増えた。また、「学校だより」や「保健だより」、献立表の裏の「学校給食だより」で情報を伝えるなど、保護者への啓発にも取り組んだ。

 国宝校長は「昨年度朝食に関する指導をしましたが、朝食を食べてくる率が高くなり、学校の取り組みが家庭へも伝わったことを実感しました。食育は、家庭科だけではなく、国語、社会、理科、体育、道徳など、いろんな教科に関連しています。教員が食育を意識して指導することで、全学年で年間を通じて指導をしていきたい」と意欲的だ。

 学校給食は、栄養のバランスのみならず、季節の食材を取り入れることや、行事食や郷土料理を出すこと、ひじきやレバーなどの食材を利用することも積極的に進めている。昔と比べるとメニューの種類が多く、いろいろな味が楽しめるよう工夫されている。けれども学校で食事を提供できるのは、給食の時間のみ。家庭でも学校給食週間を機に、食事について話す時間をとってはいかがだろうか。

 食事は単に栄養をバランスよく摂取するだけではなく、場所の環境、姿勢、だれかと一緒に食べる、というのも大切な要素となる。学校では、栄養バランスのとれた食事を、クラスメイトとおしゃべりしながら食べることができる。家庭でも、心のこもった栄養ある食事を、だれかと一緒に食べることを、意識したい。』

 独居高齢者の場合、何ヶ月かに1回程度、会食とかがあると良いのになぁ。と思う。母の場合は老人会があって、公会堂に集まるのを楽しみにしている。家族が居るのに個食しなければならない。なんていうのはちょっと悲しい。一人で食べても美味しくない。食べる環境ってとても大事だと思う。

『笑ってストレス発散』

 こんなタイトルを見つけたのは1月26日付け地元紙の地域ニュース欄。落語家の講演活動 として紹介されていた記事をそのまま引用させていただきます。

 亡くなった父親は晩年、おぼれるように酒を飲んでいた。「おれは死ぬ。あと10年もたたずに死ぬ」。毎日のように自宅居間で日本酒をあおっていた姿が目に焼きついている。上方落語の桂春菜さんが「笑いと健康」をテーマに講演活動を始めたのは、父のそんな生き方を見て育ったからだ。

 約3年前から関西の企業や学校で、自分の失敗談といった日常生活の話題などを取り上げてテンポよく話す。キーワードは、スマイル(笑顔)とサイコロジー(心理学)を合わせた造語「スマコロジー」、笑いが人の精神的な負担を減らすよう願いを込めた。春菜さんの活動をよく知る心理カウンセラーも「笑いは健康やストレスの減少と相関関係がある」と指摘。口コミで評判が広がり、引っ張りだこだ。

 講演会は笑いが絶えない。参加した大阪市の会社経営者は「確かに笑いは物事をスムーズに、仕事を効率的に進めるかもしれない」と納得していた。春菜さんは「笑いは心のバランスを保つために役立つ」と話す。だが笑いを提供する落語家にとっては悩みの種にもなる。

 51歳で早世した父も落語家だった。二代目桂春蝶(かつらしゅんちょう)。1980年代、テレビメディアに登場した落語家の先駆けだった。笑いの世界では、芸の腕が上がれば上がるほど、高座でもテレビでも、笑わせて当り前とみられる。芸を究めようとして精神的に追い込まれ、体を壊した。

 春蝶さんは「もう限界や」との父のつぶやきを何回も聞いた。だからこそ公園では、だれもが最高の仕事をするには「精神の平穏状態を保つことが重要だ」と強調している。

 父が逝って14年。今年、春蝶を襲名する。「笑いは大事だけど、笑うには心の余裕がいる。講演を通じそのお手伝いができれば」と語る。春菜さんに「笑う」をお題になぞかけをお願いした。「笑う」とかけて「金のしゃちほこ」と解く。その心は「なごやか、なごやか」。問い合わせは松竹芸能テレビ部?06・6649・8640

 笑いと健康 関西福祉科学大の清水彰学長(精神医学)によると、笑いは人間やサルにしかみられない表情の一種で、コミュニケーション手段という。笑うことで、コミュニケーションを図る際にかかる、自分と相手のストレスが軽減できると指摘する。』

 笑う門には福来る。ちょっと辛いことがあっても頭を切り替えて楽しかったことを思い出してみる。フッと笑顔がこぼれたらそれで良い。鼻歌まで飛び出したら尚素晴らしい気がする。
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