今日付け地元紙の総合欄には、『時代を読む』と題した評論が載っていた。そして気になったのは“『自由と繁栄の弧』の意味”なる文字。記事をそのまま引用させていただきます。
『ニッポンという弧状列島の北に位置する日本海。その遥(はる)か彼方(かなた)にユーラシア大陸が果てしなく広がっている。いま、列島から大陸に一本の「理念の橋」が懸けられつつある。横断橋の名は「自由と繁栄の弧」。
戦後の日本は、超大国アメリカが差しかける安全保障同盟の傘に身を置いて慎(つつ)ましく暮らしてきた。そんな日本の外交が、初めて自らの志を語り、進むべき道を示そうとしている。
日本が白い地球儀に描く「自由と繁栄の弧」は、ユーラシア大陸の向こう端、北欧とバルト三国を基点とする。そして中・東欧を横断し、グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバから成るGUAM諸国に連なっている。さらにトルコ、中東のイスラム諸国を経て、かつて列強がグレートゲームを繰り広げた中央アジアに至る。そしてインド、ASEAN諸国をつき抜け、北東アジアに辿(たど)りついて日本海を望み、その長大な弧を締めくくる。
同時多発テロに見舞われたアメリカは、ユーラシア大陸の外縁部に連なるこれらの国家群を「不安定の弧」と断じてきた。冷たい戦争が幕を下ろしても、この地域は圧制と貧困にあえぎ、それゆえ国際テロリズムの温床となっているとみなしてきたからだ。だが、日本は、経済大国となったその経験と智恵の限りをつぎ込み「不安定」という混沌(こんとん)を「自由と繁栄」に変貌(へんぼう)させたいと名乗りをあげた。
新しい構想を練り上げたのは、麻生太郎外相率いる外交チームだった。右派の論客と見られていたこの人は、外相に就任すると、谷内正太郎外務次官と手を携えて、日本外交の理念を精力的に語り始めた。「中国の台頭を歓迎する」。続いて「中国、その民主的な将来」。それらの提言は、靖国問題で暗い坂道を転げ落ちていた日中関係に差しこむ一条の光となった。だが、その胸の内を読み取った者は国内にほとんどいなかった。ところが海外の東アジア・ウオッチャーたちは、麻生・谷内チームの采配(さいはい)をじっと見守り、スピーチに込められたシグナルを見逃さなかった。
そして姿を現したのが、「“自由と繁栄の弧”を創(つく)る」と題された外相スピーチだった。続く「東は西へ、西は東へ」を経て、新しい構想は骨格を逞(たくま)しくしていった。日本外交が自らの言葉で理念を語った「自由と繁栄の弧」(幻冬舎)は、外交論集に編まれて近く出版される。日本外交の地理的視野をアジア・太平洋から一気にユーラシア大陸全域に広げたいー そんな思いがこの一冊ににじんでいる。
従来の日本外交は、日米同盟、国連中心主義、アジア重視を三本柱としてきた。だが、日米同盟を外交の基軸だと言い募るあまり、東京・ワシントンの盟約が空気のように常にあると慢心してはいなかったかと麻生外相は言う。
「日本の安全保障体制に安住して思考停止に陥ってはならんということです。安全保障同盟などというものは、ほんのちょっとしたきっかけで雪のように溶けてしまうと考えておくのがちょうどいい」
それゆえ、日本外交の地平をユーラシア大陸にグーンと広げるきおとで、NATO(北大西洋条約機構)との絆(きずな)を一層確かなものにする。それによって太平洋と大西洋の双方からアメリカをがっちりと包み込むー。 これこそが対米同盟を揺ぎないものにすると麻生・谷内チームは思い定めているように見える。しかし、アメリカの対イラク戦争に一貫して付き従った日本から同盟の再構築の構想が示されるほどに、超大陸アメリカはいま、傷つき、のたうち回っている。この外交論集にも日米二国間の同盟の明日を拓(ひら)く戦略が示されているわけではない。イラク戦争を始めてしまったアメリカの躓(つまず)きはかくも深刻なのである。
だが、外交とは実に奇妙な生き物である。日米同盟を超える構想を示しただけですぐさま手応えが返ってきた。真っ先に応じたのがプーチン大統領率いるロシアだった。ユーラシア大陸の外縁部に外交資源を張り付けていく日本の決意を目の当たりにしたプーチン政権の交渉姿勢は、にわかに真剣味を帯びてきた。やがては日ロの喉(のど)に刺さった小骨を抜く領土交渉にも新たな兆しが表れるだろう。
外交ジャーナリスト 手嶋龍一 てしま・りゅういち
NHKワシントン特派員として冷戦終結に立ち会い「たそがれゆく日米同盟」「外交敗戦」(新潮社)など執筆。ボン支局長、ワシントン市局長などを経て、2005年独立。ドキュメント・ノベル「ウルトラ・タワー」(同)はベストセラー。近著に「ライオンと蜘蛛の巣」「インテリジェンス 武器なき戦争」(幻冬舎)。4月から慶応大教授。外交ジャーナリスト、作家。』
何と壮大なスケールなんだろう。やはり世界中の人々が手を携える。このことが貧困から立ち上がり、ひいては地球全体に『幸』をもたらすことになるはずだ。
『ニッポンという弧状列島の北に位置する日本海。その遥(はる)か彼方(かなた)にユーラシア大陸が果てしなく広がっている。いま、列島から大陸に一本の「理念の橋」が懸けられつつある。横断橋の名は「自由と繁栄の弧」。
戦後の日本は、超大国アメリカが差しかける安全保障同盟の傘に身を置いて慎(つつ)ましく暮らしてきた。そんな日本の外交が、初めて自らの志を語り、進むべき道を示そうとしている。
日本が白い地球儀に描く「自由と繁栄の弧」は、ユーラシア大陸の向こう端、北欧とバルト三国を基点とする。そして中・東欧を横断し、グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバから成るGUAM諸国に連なっている。さらにトルコ、中東のイスラム諸国を経て、かつて列強がグレートゲームを繰り広げた中央アジアに至る。そしてインド、ASEAN諸国をつき抜け、北東アジアに辿(たど)りついて日本海を望み、その長大な弧を締めくくる。
同時多発テロに見舞われたアメリカは、ユーラシア大陸の外縁部に連なるこれらの国家群を「不安定の弧」と断じてきた。冷たい戦争が幕を下ろしても、この地域は圧制と貧困にあえぎ、それゆえ国際テロリズムの温床となっているとみなしてきたからだ。だが、日本は、経済大国となったその経験と智恵の限りをつぎ込み「不安定」という混沌(こんとん)を「自由と繁栄」に変貌(へんぼう)させたいと名乗りをあげた。
新しい構想を練り上げたのは、麻生太郎外相率いる外交チームだった。右派の論客と見られていたこの人は、外相に就任すると、谷内正太郎外務次官と手を携えて、日本外交の理念を精力的に語り始めた。「中国の台頭を歓迎する」。続いて「中国、その民主的な将来」。それらの提言は、靖国問題で暗い坂道を転げ落ちていた日中関係に差しこむ一条の光となった。だが、その胸の内を読み取った者は国内にほとんどいなかった。ところが海外の東アジア・ウオッチャーたちは、麻生・谷内チームの采配(さいはい)をじっと見守り、スピーチに込められたシグナルを見逃さなかった。
そして姿を現したのが、「“自由と繁栄の弧”を創(つく)る」と題された外相スピーチだった。続く「東は西へ、西は東へ」を経て、新しい構想は骨格を逞(たくま)しくしていった。日本外交が自らの言葉で理念を語った「自由と繁栄の弧」(幻冬舎)は、外交論集に編まれて近く出版される。日本外交の地理的視野をアジア・太平洋から一気にユーラシア大陸全域に広げたいー そんな思いがこの一冊ににじんでいる。
従来の日本外交は、日米同盟、国連中心主義、アジア重視を三本柱としてきた。だが、日米同盟を外交の基軸だと言い募るあまり、東京・ワシントンの盟約が空気のように常にあると慢心してはいなかったかと麻生外相は言う。
「日本の安全保障体制に安住して思考停止に陥ってはならんということです。安全保障同盟などというものは、ほんのちょっとしたきっかけで雪のように溶けてしまうと考えておくのがちょうどいい」
それゆえ、日本外交の地平をユーラシア大陸にグーンと広げるきおとで、NATO(北大西洋条約機構)との絆(きずな)を一層確かなものにする。それによって太平洋と大西洋の双方からアメリカをがっちりと包み込むー。 これこそが対米同盟を揺ぎないものにすると麻生・谷内チームは思い定めているように見える。しかし、アメリカの対イラク戦争に一貫して付き従った日本から同盟の再構築の構想が示されるほどに、超大陸アメリカはいま、傷つき、のたうち回っている。この外交論集にも日米二国間の同盟の明日を拓(ひら)く戦略が示されているわけではない。イラク戦争を始めてしまったアメリカの躓(つまず)きはかくも深刻なのである。
だが、外交とは実に奇妙な生き物である。日米同盟を超える構想を示しただけですぐさま手応えが返ってきた。真っ先に応じたのがプーチン大統領率いるロシアだった。ユーラシア大陸の外縁部に外交資源を張り付けていく日本の決意を目の当たりにしたプーチン政権の交渉姿勢は、にわかに真剣味を帯びてきた。やがては日ロの喉(のど)に刺さった小骨を抜く領土交渉にも新たな兆しが表れるだろう。
外交ジャーナリスト 手嶋龍一 てしま・りゅういち
NHKワシントン特派員として冷戦終結に立ち会い「たそがれゆく日米同盟」「外交敗戦」(新潮社)など執筆。ボン支局長、ワシントン市局長などを経て、2005年独立。ドキュメント・ノベル「ウルトラ・タワー」(同)はベストセラー。近著に「ライオンと蜘蛛の巣」「インテリジェンス 武器なき戦争」(幻冬舎)。4月から慶応大教授。外交ジャーナリスト、作家。』
何と壮大なスケールなんだろう。やはり世界中の人々が手を携える。このことが貧困から立ち上がり、ひいては地球全体に『幸』をもたらすことになるはずだ。