10月4日付け地元紙のくらし欄で見つけたこのタイトル。更に英文詩に共感の輪 とあります。そのまま引用させていただきます。
『愛する人を失った痛みは消えることはない。テノール歌手の秋川雅史さんが歌い、ミリオンセラーとなった「千の風邪になって」は、作者不詳の英文詩を作家の新井満さんが翻訳し曲を付けた。「千のー」同様、死別の悲しみを癒す英文詩が相次いで翻訳出版され、静かな人気を読んでいる。
あなたが眠りにつくのを
みるのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんと
カバーをかけて
神様にそのたましいを守って
くださるように
祈っただろう
7月に出た「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版)は、こんな書き出しで始まる。米国の女性詩人ノーマ・コーネット・マレックさんが、幼い息子の死を悼んだ詩だ。発表されたのは1989年だが、大切な人を失う悲しみと、一緒にいられる時間を大切に生きようというメッセージが、2001年の9・11米同時多発テロ以降、インターネット上で話題になった。
福島県富岡町で英語学校を経営する役者の佐川睦(むつみ)さんも、交通事故で姉と母を亡くしている。「人に伝えたくても伝えられない悲しみ。それでも前を向いて生きていきたいという自分の思いのままで、ぜひ自分で訳したいと思った」と語る。
市と写真だけのシンプルな構成だが、二ヵ月半で既に3万3千部売れた。同社社長の鶴巻謙介さんは「読者からの反響の大きさに驚いた」と言う。
白血病で友人を失って「たくさんの後悔が残ってしまった」とつづる女子中学生。21歳の息子を交通事故で亡くして「一年たっても悲しみは癒えない」と嘆く母親ら、同社へのメールには、つらい体験を詩に重ね合わせる読者の姿が映る。
一方、家族と同じように暮らしてきたペットの死に苦しむ人たちの間で静かに共感の輪を広げているのが、作者不詳の英文詩「Rainbow Bridge」。死んだペットたちは天国に懸かる虹の橋のたもとで幸せに暮らしていて、いつか飼い主がやって来たら一緒に虹の橋を渡るという内容で、昨年3月、音楽評論家・作詞家の湯川れいこさんが「虹の橋」(宙<おおぞら>出版)として翻訳出版している。
50代からの反響が多く、「死んだペットを思い出して涙が止まらなくなった」「あまりのつらさにもう飼うまいと思っていたが、また飼いたいと思えるようになった」という声が寄せられた。
湯川さんは「40代後半になると家族といても孤独を感じることが少なくなく、その寂しさをペットの面倒を見ることで埋めている人も多い、反響の大きさはその表れなのでは」と話している。』
失った悲しみをどうやって乗り越えるか。。。“喪の仕事”とか“グリーフカウンセリング”という言葉で表せるのかどうか、簡単な授業を受けた経験はあるけれど、やはり「死」をいつまでも悲しんでいてはその人が安心して成仏できないことになる。成仏ということは勿論仏教のみに通じる言葉かも知れない。でも、天に昇って私たちのことを見守ってくださっているんだ。と思えば、少しは気が楽になりそうな気がする。
正直、家族を一人失ってしまうと家族が大変なのだから。通夜に始まって葬儀、初七日。。。一連の行事ごとがあって、七日ごとの法要。そして納骨。遺された家族はそれなりに大変なのだ。亡くなった人は病気などの苦しみから解き放たれたんだと思うと、少しは気が休まりそうな気がする。そう思わないことにはやっていられない。
涙をこらえていては病気になる。だから泣きたいだけ泣いたら後はスッキリ。授業を受けた割りには上手く説明できないけど、“私は元気だよ~だから安心してね。”こういうことなんじゃないかなぁ、と。
『愛する人を失った痛みは消えることはない。テノール歌手の秋川雅史さんが歌い、ミリオンセラーとなった「千の風邪になって」は、作者不詳の英文詩を作家の新井満さんが翻訳し曲を付けた。「千のー」同様、死別の悲しみを癒す英文詩が相次いで翻訳出版され、静かな人気を読んでいる。
あなたが眠りにつくのを
みるのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんと
カバーをかけて
神様にそのたましいを守って
くださるように
祈っただろう
7月に出た「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版)は、こんな書き出しで始まる。米国の女性詩人ノーマ・コーネット・マレックさんが、幼い息子の死を悼んだ詩だ。発表されたのは1989年だが、大切な人を失う悲しみと、一緒にいられる時間を大切に生きようというメッセージが、2001年の9・11米同時多発テロ以降、インターネット上で話題になった。
福島県富岡町で英語学校を経営する役者の佐川睦(むつみ)さんも、交通事故で姉と母を亡くしている。「人に伝えたくても伝えられない悲しみ。それでも前を向いて生きていきたいという自分の思いのままで、ぜひ自分で訳したいと思った」と語る。
市と写真だけのシンプルな構成だが、二ヵ月半で既に3万3千部売れた。同社社長の鶴巻謙介さんは「読者からの反響の大きさに驚いた」と言う。
白血病で友人を失って「たくさんの後悔が残ってしまった」とつづる女子中学生。21歳の息子を交通事故で亡くして「一年たっても悲しみは癒えない」と嘆く母親ら、同社へのメールには、つらい体験を詩に重ね合わせる読者の姿が映る。
一方、家族と同じように暮らしてきたペットの死に苦しむ人たちの間で静かに共感の輪を広げているのが、作者不詳の英文詩「Rainbow Bridge」。死んだペットたちは天国に懸かる虹の橋のたもとで幸せに暮らしていて、いつか飼い主がやって来たら一緒に虹の橋を渡るという内容で、昨年3月、音楽評論家・作詞家の湯川れいこさんが「虹の橋」(宙<おおぞら>出版)として翻訳出版している。
50代からの反響が多く、「死んだペットを思い出して涙が止まらなくなった」「あまりのつらさにもう飼うまいと思っていたが、また飼いたいと思えるようになった」という声が寄せられた。
湯川さんは「40代後半になると家族といても孤独を感じることが少なくなく、その寂しさをペットの面倒を見ることで埋めている人も多い、反響の大きさはその表れなのでは」と話している。』
失った悲しみをどうやって乗り越えるか。。。“喪の仕事”とか“グリーフカウンセリング”という言葉で表せるのかどうか、簡単な授業を受けた経験はあるけれど、やはり「死」をいつまでも悲しんでいてはその人が安心して成仏できないことになる。成仏ということは勿論仏教のみに通じる言葉かも知れない。でも、天に昇って私たちのことを見守ってくださっているんだ。と思えば、少しは気が楽になりそうな気がする。
正直、家族を一人失ってしまうと家族が大変なのだから。通夜に始まって葬儀、初七日。。。一連の行事ごとがあって、七日ごとの法要。そして納骨。遺された家族はそれなりに大変なのだ。亡くなった人は病気などの苦しみから解き放たれたんだと思うと、少しは気が休まりそうな気がする。そう思わないことにはやっていられない。
涙をこらえていては病気になる。だから泣きたいだけ泣いたら後はスッキリ。授業を受けた割りには上手く説明できないけど、“私は元気だよ~だから安心してね。”こういうことなんじゃないかなぁ、と。