音楽って素晴らしい♪

 音楽だけのことを綴っているわけではありませんが、音楽の素晴らしさが伝えられたらと始めました。大きく路線が変わることもしばしばですが、どうぞ宜しくお願いします。

2007年10月

『大切な人失った悲しみを癒す』

 10月4日付け地元紙のくらし欄で見つけたこのタイトル。更に英文詩に共感の輪 とあります。そのまま引用させていただきます。

 『愛する人を失った痛みは消えることはない。テノール歌手の秋川雅史さんが歌い、ミリオンセラーとなった「千の風邪になって」は、作者不詳の英文詩を作家の新井満さんが翻訳し曲を付けた。「千のー」同様、死別の悲しみを癒す英文詩が相次いで翻訳出版され、静かな人気を読んでいる。
 あなたが眠りにつくのを
 みるのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは もっとちゃんと
 カバーをかけて
 神様にそのたましいを守って
 くださるように
 祈っただろう
 
 7月に出た「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版)は、こんな書き出しで始まる。米国の女性詩人ノーマ・コーネット・マレックさんが、幼い息子の死を悼んだ詩だ。発表されたのは1989年だが、大切な人を失う悲しみと、一緒にいられる時間を大切に生きようというメッセージが、2001年の9・11米同時多発テロ以降、インターネット上で話題になった。

 福島県富岡町で英語学校を経営する役者の佐川睦(むつみ)さんも、交通事故で姉と母を亡くしている。「人に伝えたくても伝えられない悲しみ。それでも前を向いて生きていきたいという自分の思いのままで、ぜひ自分で訳したいと思った」と語る。

 市と写真だけのシンプルな構成だが、二ヵ月半で既に3万3千部売れた。同社社長の鶴巻謙介さんは「読者からの反響の大きさに驚いた」と言う。

 白血病で友人を失って「たくさんの後悔が残ってしまった」とつづる女子中学生。21歳の息子を交通事故で亡くして「一年たっても悲しみは癒えない」と嘆く母親ら、同社へのメールには、つらい体験を詩に重ね合わせる読者の姿が映る。

 一方、家族と同じように暮らしてきたペットの死に苦しむ人たちの間で静かに共感の輪を広げているのが、作者不詳の英文詩「Rainbow Bridge」。死んだペットたちは天国に懸かる虹の橋のたもとで幸せに暮らしていて、いつか飼い主がやって来たら一緒に虹の橋を渡るという内容で、昨年3月、音楽評論家・作詞家の湯川れいこさんが「虹の橋」(宙<おおぞら>出版)として翻訳出版している。

 50代からの反響が多く、「死んだペットを思い出して涙が止まらなくなった」「あまりのつらさにもう飼うまいと思っていたが、また飼いたいと思えるようになった」という声が寄せられた。

 湯川さんは「40代後半になると家族といても孤独を感じることが少なくなく、その寂しさをペットの面倒を見ることで埋めている人も多い、反響の大きさはその表れなのでは」と話している。』

 失った悲しみをどうやって乗り越えるか。。。“喪の仕事”とか“グリーフカウンセリング”という言葉で表せるのかどうか、簡単な授業を受けた経験はあるけれど、やはり「死」をいつまでも悲しんでいてはその人が安心して成仏できないことになる。成仏ということは勿論仏教のみに通じる言葉かも知れない。でも、天に昇って私たちのことを見守ってくださっているんだ。と思えば、少しは気が楽になりそうな気がする。

 正直、家族を一人失ってしまうと家族が大変なのだから。通夜に始まって葬儀、初七日。。。一連の行事ごとがあって、七日ごとの法要。そして納骨。遺された家族はそれなりに大変なのだ。亡くなった人は病気などの苦しみから解き放たれたんだと思うと、少しは気が休まりそうな気がする。そう思わないことにはやっていられない。

 涙をこらえていては病気になる。だから泣きたいだけ泣いたら後はスッキリ。授業を受けた割りには上手く説明できないけど、“私は元気だよ~だから安心してね。”こういうことなんじゃないかなぁ、と。
 

『環境激変、疲れがとれない』

 10月4日付け地元紙の地域ニュース欄で扱っている、『こころを蝕む』シリーズの3回目に合理 環境激変、疲れがとれない ということを扱っていたので、そのまま引用させていただきます。
 
 『社員24万人を控える巨大グループ企業「日本郵政グループ」が1日、誕生した。

 日本郵政公社は民営化に向け、合理化を徹底してきた。トヨタのノウハウを取り入れたJPS(ジャパン・ポスト・システム)方式で「ムダ・ムラ・ムリ」を廃し、2006年度、5.1%の生産性向上を遂げた。

 その影で多くの職場が悲鳴を上げた。30歳代の山田一郎さん=仮名=が勤める兵庫県内の郵便局もその一つだった。
 
 一昨年、保険業務の課長代理として赴任。民営化に向け、残業は月に60~80時間に及んだ。労働組合と郵便局が結んだ協定(36協定)は2ヵ月間で40時間までだったが、管理職という立場もあり、協定内ぎりぎりの残業時間しか申告しなかった。

 そんな中、局内で不正な保険契約が発覚した。被保険者の同意のない契約が見つかり、上司の指示で、過去の契約について調査した。

 「合理化追求の中、ノルマを達成させるためにやったのだろう」と思った。気持ちが分かるだけに、身内を調べるつらさが募る。日に日に疲労感が強まり、仕事に集中できなくなった。朝、目覚めても起きられない。

 抗うつ剤を服用し始めたが、改善せず、二ヵ月休職した。昨年夏のことだった。秋に復職したが、民営化に向けての多忙さは変わらなかった。

 戦場のような職場でリタイヤする職員が相次いだ。山田さんの休職期間中、その仕事を担ったもう一人の課長代理は、突然、出勤しなくなり、一時行方知れずになった。くも膜下出欠で倒れる職員もいた。あまりの多忙さに次々に従業員が辞め、定員15人で、常に3~4人の欠員が出る状態だった。
 
 誰もが、肉体的にも精神的にも限界で、次に倒れるのは自分かもしれないという空気が職場に広がった。
 
 山田さんは、郵便局の上部組織である郵政公社近畿支社に現状を申告したが、改善されることはなかった。やがて山田さんのうつが再発。今春、二度目の休職を取った。

 曲が労働組合に明らかにしたところでは、山田さんが休んでいた二ヵ月、職場の残業時間は最大約180時間に及んでいた。
 
 二度目の復職後、山田さんは「課長代理」からの降格を言い渡された。上司は「おまえの健康を考えて職を解いた」と言ったが、休職中、一度も見舞いに来なかった上司の言葉を、まともには受け止められなかった。

 10月1日、山田さんは日本郵政グループの一員として郵便局窓口に座った。新会社のシンボルカラー、オレンジ色の線が入ったシャツに折り目がくっきりと浮かぶ。
 
 「サービス向上はもちろんだが、社員にとってもいい民営化であってほしい」と願う。』
 
 正社員とゆうメイト。今は殆どの業務をゆうメイトがこなしている。窓口業務など全く経験無い者が少しだけの研修で窓口へ座らされるのは、たまったものではないと思う。

 私自身は大阪市内の特定郵便局勤務の経験が少しだけあるから、郵便・貯金・保険の窓口業務は当り前だった。同じ職員なのに、普通局勤務職員と、特定局勤務職員ではこうも違うのか。
 
 現金を扱えば出納手当がつくとかつかないとかの関係があるためか、その辺のことは私にはわからない。本当なら部門分けなどせずに、お客様が窓口で立て込んでいるなら、ムダ口ばかり叩いている人がさっさと対応すれば良いのに。と思ってしまう。
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