音楽って素晴らしい♪

 音楽だけのことを綴っているわけではありませんが、音楽の素晴らしさが伝えられたらと始めました。大きく路線が変わることもしばしばですが、どうぞ宜しくお願いします。

2008年10月

『正平調』

 昨日引退宣言した、高橋尚子さんを扱ってこんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。

 『他人を励ますことは、それほど難しくない。心の底から「がんばれ」「もう少しだ」と声をかけることが力になる。しかし自分を励ますのは、意外と難しい。

◆詩人吉野弘さんは作品「自分自身に」で、そう書き起こしながら、くじけそうなわが身への励まし方にふれる。「自分がまだひらく花だと/思える間はそう思うがいい」。ただし「すこしの気恥ずかしさに耐え/すこしの無理をしてでも」と。

◆マラソンランナーの高橋尚子さんが、現役引退を明らかにした。五輪で金メダルに輝いた後、成績はかんばしくなかった。彼女らしい笑顔の引退会見となったが、きっと、失望する声に耐え、痛む体に無理をさせながら、「まだひらく花」と自らを励ます日々だったろう。

◆登りつめた頂が高いほど、背負うものは重い。高橋さんの場合、切れ味のいいシドニーの快走が、みんなの記憶に焼き付いた。が、心を奮い立たせても鋭さは戻らない。「プロ高橋としての走りを見せられない」との引退の弁は、実に正直だ。

◆同じ金メダリストの国民栄誉賞受章者に、柔道家の山下泰裕さんがいる。王者とて、心は鋼ではない。「もしも負ければ、山下だけでなく“日本柔道敗れる”と書かれる」。わが身を励ましながら、最後は重圧との戦いを強いられたと、203連勝の柔道家は打ち明けた。

◆高橋さんの引退会見は記者の拍手で終わった。偶然の一致かもしれないが、20年余り前の山下さんの会見でも拍手がわいた。実績と努力、率直な言葉への敬意や共感がこもっていた。みんなの気持ちを代表しての拍手だよ、Qちゃん。』

 アマチュア無線での呼び出し符号のサフィックスが“Q”で始まる私。他人事とは思えずに応援させていただいたけれど、これで、後に続く人たちと共に走る楽しさを分かち合って欲しい。

 走ることよりも歩くことなら何とか。という程度の私には、神がかりとしか思えないパワーを持っていらした高橋尚子さん。走り続けてこられた体には、いきなりの休憩は無理かもしれないけれど、ちょっとだけひとやすみして欲しいな。

『“粉骨砕身”の人助け』

 この、“粉骨砕身”ってどこかで聴いた気がするけど、どの横綱だったか、確か、横綱になったときの挨拶で使っていたような。

 今日の地元紙くらし欄で見つけたこのタイトルの主役は何とアンパンマン。新聞記事に載っているアンパンマンは、あの「サザエさん」のお父さんそっくりに見えてしまうのは私だけかな?そのまま記事を引用させていただきます。

 『“せいぎのみかた”アンパンマンのひみつ

 ことし、子どもたちのヒーロー「アンパンマン」の原形が生まれて40年、テレビアニメ化されて20年の節目を迎えた。赤ちゃんや幼児を今も魅了する国民的キャラクターの人気の秘密を探ってみよう。

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 生みの親の漫画家やなせたかしさんを乗せ、アンパンマンの山車が登場する。続いて、ばいきんまん、しょくぱんまん、ドキンちゃん…。東京都内で7月に開かれた映像化20周年のパーティー。着ぐるみのキャラクターのパレードに、参加した子どもたちの芽はくぎ付けだった。

 「せっかく(アニメを)始めるんだから、せめて1年は頑張りましょうといっていたぐらいで、まさかここまで続くとは…」。やなせさんも驚きを隠せない。

 絵本が原作のこのアニメは当たらない。読者がテレビを見るには幼すぎて、視聴率につながらないからー。そう思われていた1980年代、アンパンマンの絵本に可能性を感じた制作会社、東京ムービー新社(現トムス・エンタテイメント)と日本テレビがほぼ同時にアニメ化に乗り出した。

 両社は88年、全国放送ではなく、関東ローカル枠でオンエアを始めた。控えめなスタートだったが、裏番組だったNHKの「おかあさんといっしょ」にも引けを取らず、視聴率は上昇。翌年には映画化されるまでに急成長した。

 東京ムービーのプロデューサーだった加藤俊三さん(創通エンタテイメント社長)によると、上映会では珍しい現象が起きた。「館内を後ろから見渡すと、座席が埋まっていない。びっくりしてよく見たら、小さな子どもたちでいっぱいだった」というのだ。

 アニメ開始時から現在までプロデューサーを務めるトムスの柳内一彦さんは、やなせさんと初めて会った日のことを今も覚えている。

 「顔をちぎって誰かにあんパンを与える場面はグロテスクです。どこか別の場所から取り出すことにしたい」。柳内さんがそう持ち掛けると、やなせさんは拒否した。「<font color="red">自分もおなかいっぱいじゃないのに、困っている子どもたちにパンをあげる。人が正義を貫くときは痛みを伴うということを表したものだ</font>」

 自らが傷ついても他人を助ける。アンパンマンの底流には、やなせさんの信念が横たわっている。』

 実は、子どもに縁がない私はこのアンパンマンのことを随分長い間知らずにいた。ドラエモンなら、テーマソングをブラスバンドで演奏したこともあるし、全く知らないわけではなかった。ジャイアンなんてのも登場する。

 ところが、このアンパンマンのことはテーマソングがあるだろうけど、わからない。登場人物がやたらと増えていて、まるでわからない。でも、“正義を貫く”という筋をずうっと通し続けていらっしゃったんだと思う。

 ドキンちゃんとばいきんまんて仲間なのか友達なのかわからないけど、世の中、こういう人も確かに存在する。周りのみんなが自分たちの味方ではない。ということも教えてくれそうな気がする。

 アンパンマンの顔って外れること、最近知った私です。

『世界めぐる平和博物館』

 “平和”という文字にはついつい反応してしまう私。25日付け地元紙文化欄で見つけたこのタイトル。記事をそのまま引用させていただきます。

 『博物館が山を越え海を渡り、自由に旅する。列車に乗って…。神戸市立科学技術高校(同市中央区)の生徒たちが、紛争の絶えない世界に向けて、そんな伸びやかなアイデアを打ち出した。生徒たちの思いを形にした作品は11月の文化祭で一般公開される。「えっ!」と思った人も「ええ?」と感じた人も、ぜひ。             (新開真理)

 作品は、10月上旬に京都などで開かれ、約40カ国の研究者らが参加した「第6回国際平和博物館会議」の関連展で発表された。同展のテーマは「平和博物館は可能か?」。デザインや建築を学ぶ関西や東北の大学・高校生らが、戦争の悲惨さを強調する従来の手法とは異なる、平和を積極的に創造する施設のイメージを出し合った。

 神戸市立科学技術高途市工学科の生徒たちは「明日、私たちの街に、平和博物館がやってくる」と題した作品を出展。博物館を「建物」ではなく、さまざまな用途のコンテナ約20両をつないだ「列車」に仕立てた。

 未来の平和を築く主役である子どもたちは、遠い国の博物館を訪れることができるだろうかー。列車形式なら、世界各地を巡回できる。そんな思いを具体化した。

 列車は「アウシュビッツを知る」「ヒロシマを知る」といったコンテナを連結。エネルギーや水、宗教について考えたり裁縫を身に付けたりするコンテナ、図書館や医務室、“学校”もある。「むっちゃでっかい風呂」を載せたコンテナは、長旅の疲れを和らげてくれそうだ。

 同学科の1~3年生、のべ約百人で案を出し合い、半年かけて制作した。3年の梶原千種さん、ジェップ・テゥン・アンさん、2年の田中天さんらが中心になった。

 3人は「いろんな人の話を聞くうち、戦争さえなければいいのではなく、きれいな水や教育も大切だと知った」「価値観の違う国でも通用する内容にしたくて苦労した」と話す。「平和」の姿を多面的にとらえようとした課程も、作品に反映されている。

 講評した現代美術家の椿昇さんらは「実現性の高い、すごいアイデア。国連が紛争地に向かうときは、必ず同行させるべき」「各国でさまざまなコンテナを作り、交換してはどうか」と高く評価した。

 指導に当たった同行の新山浩教諭は「世界には、戦争をリアルに知ってほしいと強く願う人々がいる。生徒たちには、この作品を、そうした人たちの感情を知る入り口にしてほしい」と話す。一般公開は11月22日午前10時~午後2時、同校で。』

 う~ん。。。休みが取れるかどうかわからないけど、一般公開されるなら是非観てみたい。学校自体がどこにあるのやら。検索してみるしかないかな。

 高校生たちだからこそできたことなのかも知れない。戦争や平和について、そして、自然を大切にするために私たちができること。。。一人一人が地球組織の一員なのだから、対岸の火事などとは思わないで、できることから始めたい。そのヒントになるのじゃないかなぁ。若いって凄い!見習わなきゃ。

『一筋に芸道歩み90年』

 こんなタイトルで紹介されていたのは、地元紙が扱っている「兵庫人」。19日付地元紙、一面トップの左側で紹介されている第19部は、淡路島にお住まいの人間国宝・鶴澤友路さん。そのまま引用させていただきます。

 『94歳を迎えてなお、弟子にけいこをつけないのは盆の1日だけという。南あわじ市に住む義太夫節三味線奏者の鶴沢友路

 1998年、国の重要無形民族文化財「淡路人形浄瑠璃」に携わる舞台人として始めて人間国宝に認定された。「休めば体調が悪くなる」と、今も午前9時半から午後11時まで、自宅兼けいこ場で精進を重ねる。

 芸事好きの家庭に育ち、三味線や語り部は小さいころから身近な存在だった。「門前の小僧」を地で行くように耳で学んだ。生き別れた両親を訪ねて旅をする子を描いた「傾城阿波鳴門、巡礼歌の段」の一節を語りながら町を歩いて周囲を驚かせた。4歳のころのエピソードだ。

 12歳にして大阪で内弟子修行を初め、3年半後に帰郷。当時、島内に6,7座あった人形座の一員として島内外を巡業した。むしろが敷かれた掛け小屋で、2千人を前にマイクも使わず三味線と浄瑠璃を響かせて地力を付けた。

 淡路全体に名がとどろくよう「友路」と名付けてくれたのは、大阪の文楽三味線奏者の六世鶴澤友次郎(1874~1951年)で、23歳のころから仕えた。

 いくら懸命に弾いても「違う」としか言われず「泣いてばかりいた」。それでも「浄瑠璃の世界が、好きで好きでしょうがなかった。物語の情景や人物像を音に表せるからやな」。大阪への通い修行は毎月欠かさず続いた。

 その後、国内各地や欧米で公演を重ね、淡路人形浄瑠璃の魅力を広く海外にも伝えながら、地元の子供会や小中高校での指導に力を注いだ。人間国宝となった今も、唯一のプロ集団「淡路人形座」と、自宅に近い市立南淡中学校で週に1度、指導する。

 張りのある声と力を込めたばちさばきを座員や生徒の前で披露し、舞台と変わらない真剣勝負を挑む。「こちらが気持ちを入れれば入れるほど教え子も返してくれるんや」

 「年を取れば分かることがある」「手ではなく心と腰で弾くんだ」。師匠の友次郎が繰り返し語った意味が「最近になってようやく分かってきた」友路。90年の経験から学んだのは「苦労して盗んだこそ忘れない芸がある」ということ。しかし、弟子たちには優しい。自由に録音テープを使わせ、何度でも聴けるよう配慮する。「私のような苦労は、今の人には辛抱できんやろから」

 淡路人形座は現在、大鳴門橋記念館に併設された淡路人形浄瑠璃館で1日5~8回、公演。2011年までには新しい人形会館が福良港に建設される。

 「新会館のこけら落としに出られればいいがなあ」。健康に気を配り、この目標に向かってまい進する。(敬称略)』

 そして、6面には、『人形に「命」吹き込む情熱』として紹介されていますので、一部を引用させていただきます。

 『淡路の人形芝居には、こんないわれがある。西宮神社(西宮市)に仕える人形遣い「傀儡師」から伝わり、一体の人形を三人で操る「三人遣い」のスタイルが江戸時代中期に生まれたー。異説もあるが、明治中ごろには、島内に20を超える人形座があったとされる。』

 『人形座が公演で使う人形は、50年以上の耐久性があるが、「木偶師」と呼ばれる人形作り職人の存在は欠かせない。藤野良一は高校の元数学教師。県立三原高校在職中の1981年、同僚から誘いを受けて徳島の木偶師の弟子になった。

 現在は南あわじ市内で社会人対象の人形作り教室を開き、作品は淡路人形座や南淡中学校などで使われる。顔の彫刻や、目やまゆを動かすからくり機構が一見難しそうだが、「実は、おしろいに当たる胡粉を塗る作業の方が厄介」。温度や湿度の影響を受けやすいからだ。困難な仕事の先に理想の木偶を据え、ひたすら「気品と上品さ」を求め続ける。』

 『そもそも文学は、淡路出身の浄瑠璃語り植村文楽軒(1751~1810年)による人形芝居が大阪で人気を呼んで広まった。語りと三味線、三人遣いの人形で成立する点は淡路人形と同じだが、「野趣あふれる素朴さ」を旨とする淡路に対して、文楽は「繊細さ」が魅力とされる。人形も文楽は二回りほど小さい。』

 『三味線と語りだけで舞台を成立させ、人形を用いない「素浄瑠璃」の置くも深い。この女流義太夫節の世界で唯一の人間国宝竹本駒之助は、中学生のころ淡路で友路から「語り」を学んだ。

 大阪での内弟子時代、息を吸うタイミングが見つけられず、失神しそうにもなった。苦しい経験が今の花につながる。現在は神奈川県に住み、東京・国立演芸場などで定期的に公演する。今年、半世紀ぶりに吉田分雀と共演し、来年の公演も決まった。

 「芸が盛んだった島に生まれたことを誇りに思う」。淡路から伝統芸が広がる。(敬称略)(文化生活部・井筒尚基)』

 直接お逢いしたことはないけれど、間近で見た鶴澤友路さんは、何と気さくなんだろうと驚く。小さい小さいお体のどこからあんな声が出るのだろうと、本当に驚くことばかり。周りは人間国宝様みたいな扱いなのに、ご本人はいたって普通の女性。そこが人気の秘密だったりするのかなぁ。どうぞ、お元気で、新会館でのこけら落としにも是非姿をみせて欲しい!

『若手ピアニスト3人共演』

 10月16日付け地元紙くらし欄で見つけたこのタイトル。16日は急遽神戸へ出かけることになったので、紹介が遅くなってしまいましたが、そのまま引用させていただきます。

 『同じピアノ教室で学び、今後の飛躍が期待される同級生の若手ピアニスト3人が出演する「幼なじみコンサート」が11月1日、JR新神戸駅前の神戸芸術センターである。出演者の1人で、東京芸術大学1年の鯛中卓也(明石市出身)は「キャラクターが三人三様なので楽しんでもらえるとおもう。自分らしさを出したい」と力を込める。

 出演者は、鯛中、崎谷明弘(神戸市出身)、酒井彩(奈良県出身)。崎谷は昨年のチャイコフスキー国際コンクール本選に出場し、現在は国立パリ高等音楽院で学ぶ。酒井はパリ国立地方音楽院で研さんを積む。

 3人は、小学生のころから全国大会で腕を競い合うなど注目を集めてきた。2001年、堺市に住むブラジル出身のクラウディオ・ソアレス氏に師事。「幼なじみー」は2006年以来2回目。

 鯛中は「3人が切磋琢磨することが、エネルギーになってきた。酒井さんはリズム感が良く、ステージでの集中力がすごい。崎谷君は、お客さんを引きつけ、楽しませる力にあふれている」と評する。自分については「美しい音や、色彩感のある音を作り出したいと常に考えている」という。

 当日は、鯛中がバッハの「パルカティータ第一番」、崎谷がリストの「ドン・ジョヴァンニの回想」、酒井がフランクの「プレリュード、コラールとフーガ」などそれぞれが約40分ずつ、得意曲を披露する。

 「作品の良さを、お客さんと一緒に味わえるようなコンサートにしたい」

 前売り一般3000円、学生2000円(当日は5百円増)。

 鯛中さん?078・934・1374    (藤嶋 亨)』

 良いなぁ、幼なじみがそれぞれで活躍され、一堂に会してのコンサートだなんて。世界へ羽ばたくこんな若い世代がいらっしゃることも素晴らしいと思う。仕事じゃなかったら是非出かけたいけど、残念!

 もう少し早くに情報が入っていたら、つばつけといたのになぁ。と、何時からかはお問い合わせくださいまし。ごめんなさい。。。 続きを読む
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