というタイトルに更に『夕張の破綻に踊らされるな』という副題が添えられていたのは、5月21日付地元紙の『21世紀の針路』。客員論説委員・内橋克人さんはこのように述べていらっしゃいます。そのまま引用させていただきます。

 『北海道の旧炭鉱町を見舞った財政破綻(はたん)と、それにつづく住民の悲惨は、いま全国自治体の間に「みせしめの夕張」となって、十分な効果をあげ始めた。
 
 「第二の夕張になるな」をかけ声に、住民への行政サービスは劇的に削(そ)ぎ落とされていく、東京発マスメディアの盛り上げる「夕張たたき」を真に受け、夕張市の放漫財政の当然の報い、と誤認する世論も国じゅうのものとなった。

 自治体財政が破綻すれば、夕張のように、地域にただ一つの公立総合病院も閉鎖に追い込まれ、入院患者は総退院。唯一の市民養護老人ホームも、図書館も美術館も市民会館も、休・廃止。住民税負担は爆発的にふえ、失業が追い打ちをかける。

 「全国最高の住民負担・最低の行政サービス」の不条理は18年もつづく。

 責任はどこにある

 「あなたの町も、いつ、第二の夕張になるか、分からない」

 国の仕掛けた「脅し」にせつかれ、いま全国自治体は「住民サービスの削ぎ落とし」、「公共の企業化」を競い合い、結果、ナショナルミニマム切り下げ競争に血相を変えている。

 だが、夕張は自らの放漫財政によって破綻したのか。「過ぎたる住民サービス」が自治体財政の破綻に繋がったのか。市民・住民に自己責任はあるのか。

 すべて「ノー」である。

 夕張の財政破綻は国によってもたらされたものだ。市の責任といえば、不適切な会計処理、バブリーな「新生・夕張地域おこし計画」の策定、情報公開の手抜きだろう。

 夕張市の今日をもたらしたものは、国の政策の帰結なのであり、さらに同市で大々的な観光事業に乗り出しながら、わずか4年、機を見てさっさと撤退し、巨額の尻ぬぐいを市に押し付けた民間資本などのほかにない。

 地方財政の専門家たちがまとめた“夕張 破綻と再生”(保母武彦ほか著・自治体研究社)は、夕張破綻の真因を?炭鉱閉鎖後の処理負担 ?観光・リゾート開発とその後の財政負担 ?国の行財政改革の夕張市財政への影響ーの3つに求める。

 「炭鉱閉鎖後の処理負担」でいえば、北炭はすべてを「ぶん投げて出ていった。残された市民が暮らせるように、市は炭鉱会社の土地、住宅、病院を買い取らざるを得ず、市営の住宅、浴場、水道、学校、道路など、閉山処理対策に583億円もの巨費を投ぜざるを得なかった」。これが、その後の市財政に重くのしかかったことはいうまでもない。

 「石炭から石油へ」を国策とするのであれば、その跡処理の責任は、どの先進国においても、地元の自治体に「おまかせ」でなく、国がとった。

 さらにバブルのころ、国がつくり上げた民活型「リゾート法」が全国にリゾート乱開発を生み出した。石炭に変わる雇用の場が必要な夕張にもその波は押し寄せた。

 リゾート法という「官の失敗」、開発資本の「民の失敗」、いずれのツケもいま「住民が担保」の地方自治体に押しつけられようとしている。

 「人間の指標」こそ

 景気対策の名でうたれた公共事業はその最たるものだ。90年代不況下、公共事業の75%までが地方自治体の実施に負っていた。国から協力を要求された全国の自治体は、財政を主として起債でまかなうほかになかった。国の指定さえ受ければ、自治体の借金であるはずの地方債も、いずれ地方交付税の増額という手法で充当してもらえる。地方はこの好餌に釣られて不況下にハコもの(建造物)、スジもの(道路)、ヒラバ(地方空港)づくりに精を出した。

 追い詰められる地方財政の詳細を検証すれば、国の「浪費の代行」を強いられた地方自治体、その仕掛けとしての「集権型財政制度」のからくりを見抜くことができる。
 
 自らの失敗には頬(ほお)かぶりで押し通す強権的な「国の指標」の優等生になって、真の「地方再生」はあるだろうか。地方の豊かさを生むものは「人間の指標」のほかにない。

 貧富の差、居住地域のいかんに左右されず、人間発達に必要な基礎的教育、失った健康を取り戻す医療、社会環境を守るに十分な行政サービス、豊かな老後の保障ーこの国に生きるすべての者が「平等」に享受して当然とされる権利の概念を、もう一度、地方から立ち上げる。その先にこを「住民にとっての地方再生」は可能なのではないか。

 私達は「みせしめの夕張」に踊らされてはならない。』

 ここに来てまるで降ってわいたかのような年金問題。急ぐべき対策の順序が余りにもちぐはぐな気がするし、闇にまみれてとんでもないことが起きそうな気がしてならない。