本日付地元紙文化欄では、京都で開催されている、ユージン・スミス展のことが紹介されていたので、そのまま引用させていただきます。

 『「水俣」シリーズなどで、フォトジャーナリズムの歴史に名を刻む米国人写真家ウィリアム・ユージン・スミス(1918~78年)。彼の没後30年を記念した回顧展が、京都・岡崎公園の京都国立近代美術館で開かれている。京都在住の元妻アイリーン・美緒子・スミスさんのコレクションを基に構成。初期から晩年までの約170点で、人間や社会の「本質」「真実」を追い求めた写真家のまなざしやメッセージを振り返る。(堀井正純)

 スミスは、太平洋戦争中、戦場カメラマンとして名をあげた。戦後、多数の写真に文を添え、物語を紡ぐ「フォトエッセー」の手法でグラフ誌「ライフ」に作品を発表。

 田舎町の医師や黒人助産婦の日常にレンズを向け、独裁政権下のスペインの農村で村人たちの表情を見つめた。アフリカでの医療に情熱を傾ける医師シュバイツァーの素顔にも迫った。

 取材対象の入念な事前調査を怠らず、長期間かけて相手の本質を探り、理解しながら撮影を進めた。弱者に寄り添い、苦境でもなお輝く人間の尊厳をとらえた。

 それは、自らが多くの苦しみを知るがゆえに培われたスタイルだったかもしれない。世界恐慌による不況で、17歳のとき父が自殺。戦時中の沖縄戦取材で、砲撃により重症を負い、生涯後遺症に悩んだ。

 そんな彼の最後の仕事が、環境汚染による水俣病と戦う人々を追った「水俣」シリーズだった。

 1971年、妻アイリーンさんと熊本・水俣の漁村に移住。患者や遺族らと家族のように交流しながら、3年間、彼らの暮らしや抗議活動を撮影。人々の怒りと悲しみを、病んだ娘を抱く母の慈愛を、患者が放つ不思議な明るさを、「黒」と「白」の対比が美しいモノクロプリントにくっきりと焼き込んだ。

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 スミスは、プリント作業に時間と労力を惜しまなかったことでも有名だ。暗室での重ね焼きや漂白、写真の一部を引き伸ばすトリミングを駆使し、自らの「主観」を強調した作品を仕上げた。

 そのため「報道写真」としての「客観性」を疑問視する意見もあるが、アイリーンさんは講演でこんなスミスの言葉を紹介した。「私たちはみんな偏見を持っている。“客観性”というのはない。大切なのは、できるだけ公平で正直であることだ」

 同館の河本信治学芸課長は「彼が目指したのは事実の報道よりも、その背後の“真実”を象徴的に明示できるイコン(聖像)としての写真」と話す。「報道写真」という枠組みを超えて、スミスの仕事を見直し、再評価する動きが、今後さらに進められるに違いない。

 9月7日まで。同館?075・761・4111』

 京都へ出かける機会は。。。作れそうにもない。本当に残念!