この、“粉骨砕身”ってどこかで聴いた気がするけど、どの横綱だったか、確か、横綱になったときの挨拶で使っていたような。

 今日の地元紙くらし欄で見つけたこのタイトルの主役は何とアンパンマン。新聞記事に載っているアンパンマンは、あの「サザエさん」のお父さんそっくりに見えてしまうのは私だけかな?そのまま記事を引用させていただきます。

 『“せいぎのみかた”アンパンマンのひみつ

 ことし、子どもたちのヒーロー「アンパンマン」の原形が生まれて40年、テレビアニメ化されて20年の節目を迎えた。赤ちゃんや幼児を今も魅了する国民的キャラクターの人気の秘密を探ってみよう。

          x               x

 生みの親の漫画家やなせたかしさんを乗せ、アンパンマンの山車が登場する。続いて、ばいきんまん、しょくぱんまん、ドキンちゃん…。東京都内で7月に開かれた映像化20周年のパーティー。着ぐるみのキャラクターのパレードに、参加した子どもたちの芽はくぎ付けだった。

 「せっかく(アニメを)始めるんだから、せめて1年は頑張りましょうといっていたぐらいで、まさかここまで続くとは…」。やなせさんも驚きを隠せない。

 絵本が原作のこのアニメは当たらない。読者がテレビを見るには幼すぎて、視聴率につながらないからー。そう思われていた1980年代、アンパンマンの絵本に可能性を感じた制作会社、東京ムービー新社(現トムス・エンタテイメント)と日本テレビがほぼ同時にアニメ化に乗り出した。

 両社は88年、全国放送ではなく、関東ローカル枠でオンエアを始めた。控えめなスタートだったが、裏番組だったNHKの「おかあさんといっしょ」にも引けを取らず、視聴率は上昇。翌年には映画化されるまでに急成長した。

 東京ムービーのプロデューサーだった加藤俊三さん(創通エンタテイメント社長)によると、上映会では珍しい現象が起きた。「館内を後ろから見渡すと、座席が埋まっていない。びっくりしてよく見たら、小さな子どもたちでいっぱいだった」というのだ。

 アニメ開始時から現在までプロデューサーを務めるトムスの柳内一彦さんは、やなせさんと初めて会った日のことを今も覚えている。

 「顔をちぎって誰かにあんパンを与える場面はグロテスクです。どこか別の場所から取り出すことにしたい」。柳内さんがそう持ち掛けると、やなせさんは拒否した。「<font color="red">自分もおなかいっぱいじゃないのに、困っている子どもたちにパンをあげる。人が正義を貫くときは痛みを伴うということを表したものだ</font>」

 自らが傷ついても他人を助ける。アンパンマンの底流には、やなせさんの信念が横たわっている。』

 実は、子どもに縁がない私はこのアンパンマンのことを随分長い間知らずにいた。ドラエモンなら、テーマソングをブラスバンドで演奏したこともあるし、全く知らないわけではなかった。ジャイアンなんてのも登場する。

 ところが、このアンパンマンのことはテーマソングがあるだろうけど、わからない。登場人物がやたらと増えていて、まるでわからない。でも、“正義を貫く”という筋をずうっと通し続けていらっしゃったんだと思う。

 ドキンちゃんとばいきんまんて仲間なのか友達なのかわからないけど、世の中、こういう人も確かに存在する。周りのみんなが自分たちの味方ではない。ということも教えてくれそうな気がする。

 アンパンマンの顔って外れること、最近知った私です。