昨日引退宣言した、高橋尚子さんを扱ってこんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。

 『他人を励ますことは、それほど難しくない。心の底から「がんばれ」「もう少しだ」と声をかけることが力になる。しかし自分を励ますのは、意外と難しい。

◆詩人吉野弘さんは作品「自分自身に」で、そう書き起こしながら、くじけそうなわが身への励まし方にふれる。「自分がまだひらく花だと/思える間はそう思うがいい」。ただし「すこしの気恥ずかしさに耐え/すこしの無理をしてでも」と。

◆マラソンランナーの高橋尚子さんが、現役引退を明らかにした。五輪で金メダルに輝いた後、成績はかんばしくなかった。彼女らしい笑顔の引退会見となったが、きっと、失望する声に耐え、痛む体に無理をさせながら、「まだひらく花」と自らを励ます日々だったろう。

◆登りつめた頂が高いほど、背負うものは重い。高橋さんの場合、切れ味のいいシドニーの快走が、みんなの記憶に焼き付いた。が、心を奮い立たせても鋭さは戻らない。「プロ高橋としての走りを見せられない」との引退の弁は、実に正直だ。

◆同じ金メダリストの国民栄誉賞受章者に、柔道家の山下泰裕さんがいる。王者とて、心は鋼ではない。「もしも負ければ、山下だけでなく“日本柔道敗れる”と書かれる」。わが身を励ましながら、最後は重圧との戦いを強いられたと、203連勝の柔道家は打ち明けた。

◆高橋さんの引退会見は記者の拍手で終わった。偶然の一致かもしれないが、20年余り前の山下さんの会見でも拍手がわいた。実績と努力、率直な言葉への敬意や共感がこもっていた。みんなの気持ちを代表しての拍手だよ、Qちゃん。』

 アマチュア無線での呼び出し符号のサフィックスが“Q”で始まる私。他人事とは思えずに応援させていただいたけれど、これで、後に続く人たちと共に走る楽しさを分かち合って欲しい。

 走ることよりも歩くことなら何とか。という程度の私には、神がかりとしか思えないパワーを持っていらした高橋尚子さん。走り続けてこられた体には、いきなりの休憩は無理かもしれないけれど、ちょっとだけひとやすみして欲しいな。