地元紙のくらし欄にシリーズで扱っていた『ずっと家族が欲しかった』9回目は1月8日付。『告知』として紹介されていましたので、そのまま引用させていただきます。

 『「寝相が悪いのは仕方ないよ。お父さんの子だもん」

 家族5人がそろったいつもの食卓。小学6年の息子が笑って頭をかいた。母親の美紀さんと夫の稔さんは苦いものが込み上げた。

 美紀さんは2002年2月、稔さんと結婚した。当時長男は5歳。その後、2人の子どもに恵まれた。

 子どもたちには再婚や血縁について話したことはない。理解できる年齢ではなく、話したところで何も変わらない。何度も負債で話し合って決めたことだ。

 息子には途切れ途切れの記憶がある。2歳半で別れた実父のことは口にしたことはない。代わりに、美紀さんと2人で暮らした神戸のアパートや美紀さんと稔さんの結婚式の会場のレストランをよく思い出す。

 「どこまで分かっているのか」

 一家にとって、ただ一つの気がかりだった。

                ◇

 結婚前から息子は稔さんに懐いていた。3人で過ごした週末、「帰らないで」とすがって大泣きした。出会って半年もたつと「お父さん」と呼び、稔さんが仕事が忙しい平日は、夜のファクシミリでやりとりした。

 美紀さんの実家へのあいさつに行ったとき、稔さんは「娘さんとお孫さんを僕にください」と頭を下げた。美紀さんの父は「初婚でまだ若いのに…。あんたは変わっとる」と男泣きした。新婚旅行は3人でオーストラリアへ。稔さんのたっての望みだった。

 端から見ると、絵に描いたような仲むつまじい親子。だからこそ、変えることのできない事実が重荷になっている。

 再婚後、稔さんと美紀さんの間に赤ちゃんが生まれた後、戸籍謄本を取ったことがある。息子と新たに生まれた男児の続柄はともに「長男」だが、息子の欄には実父の名があり、稔さんは「養父」と記されていた。

 「1人だけ違う」。法律上のこととはいえ、美紀さんには、その書面が息子をのけ者にしているように見えた。

 「こんな戸籍なくしたい。絶対、見せられん」

 温厚な稔さんの声は震えていた。初めて見る夫の怖い顔だった。

               ◇

 昨年11月、息子は美紀さんの実家に1人で出かけた。実家には妊娠3ヵ月の美紀さんの妹がいた。

 「おなかが目立つ前に速く挙式を」と促す祖父に、「赤ちゃんが生まれた後で結婚してもええやん。僕のお父さんとお母さんは、僕が5歳になってから結婚したんやで」と言い張った。美紀さんはその出来事を電話で知らされた。

 子どもが寝静まった後、夫妻はあらためて話し合った。

 「今は、話すべきではない」。2人の考えはやはり一致した。

 思春期を迎えた息子にどう説明すればいいのか。いつか来るその日が怖い。美紀さんは戸籍を前に問いただされても、しらを切り通したいと考えている。

 「家族の誰もステップファミリーと思っていないのに、わざわざ事実を告げる必要があるのか」

 クリスマスイブの朝、稔さんは枕元に置かれたその手紙に気付いた。

 <日曜日以外毎日仕事をして疲れていると思うけど、ぼくたちもなるべく休ませてあげるのでがんばってね!(省略)兄弟代表>

 稔さんは照れくさそうに、丁寧な字が並んだ便せんを黙って美紀さんに渡した。泣き出しそうなほどうれしいのに切ない。屈託ないその文が、痛いほど2人の胸を刺した。=文中仮名 (坂口紘美)』

 養父と実父。一緒に暮らしているのに、どうしてこう区別されなければいけないのか。婚姻によって、夫婦となったのだから「養」や「実」の文字を付けておく必要が一体どこにあるのだろう。

 ただ、子どもに本当の父親の存在があること。死別してしまったなら、二度と逢うことはない。でも、新たに結婚という決意をしたならば、そのことも含めて子どもの権利を最大限に考えることはできなかったのだろうか。