と題して紹介されていたのは、8月7日付地元紙の文化欄。灰谷健次郎企画展が神戸文学館で開かれている案内文をそのまま引用させていただきます。
『神戸市で生まれ、育った作家灰谷健次郎さんの足跡をたどる企画展が神戸文学館(神戸市灘区)で開かれている。きちょうめんな文字が並ぶ原稿の束、教え子たちと編んだ文集や本、子どもに囲まれて穏やかな表情を見せるモノクロ写真。その目はいつも、「いのち」と「子ども」を見つめていたと、あらためて知る。(新開真理)
灰谷さんは1935年、同市兵庫区生まれ。私立小学校の教師を17年間勤めた後、作家に、昨年11月、食道がんのため72歳で亡くなった。
企画展では、灰谷健次郎事務所から関係者の協力を得て、「兎(うさぎ)の眼(め)」などの自筆原稿や著作の初版本、翻訳本、かかわっていた同人誌、写真などを幅広く紹介。家族らに残した遺言書のコピーや、小説「天の瞳」の絶筆など、今回、初公開された資料もある。
沖縄戦で砲弾の中を逃げ惑い、後に心を病む父と、その苦しみを知ろうと懸命に生きる「ふうちゃん」の姿を、神戸を舞台に描いた「太陽の子」は、代表作の一つ。その取材ノートは、最初に主人公の父の自殺に関する記述があり、灰谷さんが長兄の自死と向き合い、作品を生み出した経緯を伝える。
また、1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、新潮社の週刊誌「フォーカス」が被疑者の少年の顔写真を掲載したことに抗議し、すべての版権を引き揚げた件に関して、自身の考えを記した原稿もある。
人の生き死について、考えることをやめなかった灰谷さん。「いのちはなやぐとある人はいったが、いのちは燃えるものであり、いのちは歌うものである。そうある社会をつくりたいと心より願う」。そんな言葉も紹介されている。
◇
企画展「灰谷健次郎の足跡」は、前期(9月2日まで)は児童書を中心に、後期(9月3日~10月30日)は教育や社会に対する発言、詩を中心に展示、同館は水曜休館。電話078・882・2028』
知らない場所じゃないので、行ってみようかという気になる。ただ、始めたばかりのバイトのシフトが。。。神戸へ出た翌日が朝一番というのはやはりきついものがある。と、すっかりシフト中心に回る生活になってしまった私。
『神戸市で生まれ、育った作家灰谷健次郎さんの足跡をたどる企画展が神戸文学館(神戸市灘区)で開かれている。きちょうめんな文字が並ぶ原稿の束、教え子たちと編んだ文集や本、子どもに囲まれて穏やかな表情を見せるモノクロ写真。その目はいつも、「いのち」と「子ども」を見つめていたと、あらためて知る。(新開真理)
灰谷さんは1935年、同市兵庫区生まれ。私立小学校の教師を17年間勤めた後、作家に、昨年11月、食道がんのため72歳で亡くなった。
企画展では、灰谷健次郎事務所から関係者の協力を得て、「兎(うさぎ)の眼(め)」などの自筆原稿や著作の初版本、翻訳本、かかわっていた同人誌、写真などを幅広く紹介。家族らに残した遺言書のコピーや、小説「天の瞳」の絶筆など、今回、初公開された資料もある。
沖縄戦で砲弾の中を逃げ惑い、後に心を病む父と、その苦しみを知ろうと懸命に生きる「ふうちゃん」の姿を、神戸を舞台に描いた「太陽の子」は、代表作の一つ。その取材ノートは、最初に主人公の父の自殺に関する記述があり、灰谷さんが長兄の自死と向き合い、作品を生み出した経緯を伝える。
また、1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、新潮社の週刊誌「フォーカス」が被疑者の少年の顔写真を掲載したことに抗議し、すべての版権を引き揚げた件に関して、自身の考えを記した原稿もある。
人の生き死について、考えることをやめなかった灰谷さん。「いのちはなやぐとある人はいったが、いのちは燃えるものであり、いのちは歌うものである。そうある社会をつくりたいと心より願う」。そんな言葉も紹介されている。
◇
企画展「灰谷健次郎の足跡」は、前期(9月2日まで)は児童書を中心に、後期(9月3日~10月30日)は教育や社会に対する発言、詩を中心に展示、同館は水曜休館。電話078・882・2028』
知らない場所じゃないので、行ってみようかという気になる。ただ、始めたばかりのバイトのシフトが。。。神戸へ出た翌日が朝一番というのはやはりきついものがある。と、すっかりシフト中心に回る生活になってしまった私。