音楽って素晴らしい♪

 音楽だけのことを綴っているわけではありませんが、音楽の素晴らしさが伝えられたらと始めました。大きく路線が変わることもしばしばですが、どうぞ宜しくお願いします。

新聞拾い読み

脅かされる「人間の安全保障」

 21世紀の針路と題して、今日の地元紙で、私が大好きな客員論説委員の内橋克人さんが、述べていらっしゃいますのでそのまま引用させていただきます。

 『06年度予算が示す新たな「構造問題」 

 小泉内閣は2006年度一般会計予算の政府案を決定した。5年に及ぶ同政権にとって最後となるこの予算案には、2本の旗が掲げられている。

 一つは8年ぶり80兆円を切った一般会計であり、もう一つは5年ぶりに30兆円以下に抑制された新規国債発行額である。巨額の財政赤字が国家危惧として喧伝されるこの国にあって、巧みな数字合わせでひねり出された2本の旗は、財政健全化への一歩として、マスコミ対策上、十分すぎるほどの効果を発揮した。

 これを報じるメディアの多くは、予算案に象徴される小泉「構造改革」なるものが、いま、もっと深刻な、新たな「構造問題」を生み続けている現実に触れていない。

 二つの旗印を可能にしたのは、歳出における地方向け補助金の削減、他方で歳入における税収増である。好調とされる景気が税収増を見込ませている。

 新たな構造問題とは何か。第一に「働く貧困者」の激増である。第二に「廃村寸前集落」の加速とこれを放置する政策をあげなければならない。21世紀日本の命運を決める「新たな構造問題」と引き替えに、小泉構造改革は国民から甘い拍手を受け続けている、。

 前者が「ワーキン・プア」の大量排出という社会問題であり、後者ははやく「限界集落」(大野昇・元高知大教授)なる言葉をもって指摘された現実の深化にほかならない。

 進む「人間リストラ

 ワーキン・プアとは、同一世帯で1人ないし複数のものがフル・タイムで働いているにもかかわらず、所得が生活保護世帯の給付水準を下回り、最低額の生活水準を保つことのできない新たな貧困階層のことだ(後藤道夫ほか著「日本のワーキン・プア」旬報社)。

 今回の景気好転は2003年を契機としている。同年、日本経済に何があったか。

 03年、東証一部上場企業の経営利益は72%超もの急増を記録した、翌04年にも27%の大幅増を続け、来る06年3月期においても連続増益の記録更新となろう。

 では、この間、それら企業の売上高はどうだったのか。03年はわずかに1.2%増、04年もまた1.9%の増にすぎなかった。企業の売り上げが1%台しか増えないのに、なにゆえ前年比で7割もの利益増が可能となったのか。すさまじいばかりの人間リストラに由来する苦い成果であったことはいうまでもない。

 正規雇用を一挙に減らし、これを派遣、パート、請負業から送り込まれるフリーターなど非正規雇用に置き換えた。企業の現場はその日暮らしのオン・コール・ワーカー(電話一本で呼び出される)で満たされた。

 人間リストラを加速させたものは、当初はネガティブ・リスト(原則禁止)であったはずの労働者派遣法を、財界の思うままに「原則自由」へと、いとも簡単に「原則放棄をやってのけた小泉政見、その推進役、現・規制改革・民間解放推進会議である。

 かくて急増したのが労働の解体なのであり、「働く自由」の召し上げと「働かせる自由」の無際限な拡大であった。

 企業はなぜ正規雇用を非正規雇用に置き換えていくのか。同一労働に従事しながら、正規に比べて4割といわれる低賃金の処遇、さらに、たとえば年金掛け金の会社負担分を逃れるためである。明らかなILO(世界労働機関)条項違反である。

 こうして年収3百万円未満の労働者が過去5年で30%以上増加し、今働く人の3人に1人が非正規雇用での労働を余儀なくされている。「働く貧困層」の拡大が続く。

 加速する集落崩壊

 他方、限界過疎とされる集落は国土の53%に達した。小泉政権の都市重視・地方切捨て政策がもたらした集落の崩壊は、かつて「均衡ある国土の発展」を掲げた時代を幻の彼方へと消し去った。

 新たな貧困層の大量輩出、その固定化、そして国土の半分以上を被う集落荒廃は、21世紀日本に何をもたらすだろうか。06年度予算に掲げられた2つのシンボルは、以上に述べた新たな構造問題のさらなる深化を予言する。

 脅かされているのは「人間の安全保障」なのであり、日本という国を見舞う「社会統合」の危機を憂えずにはいられない。』

 働けど働けど、我が暮らし。。。と、かつて石川啄木が歌に詠んだ、そのままの暮らしを余儀なくされる。一体いつまでこんなことが続くのだろう。やはり、年収2500万円の世界の人には分からないのじゃないだろうか。。。

「なし崩し」の海自派遣

 地元紙の総合欄には、『この国の座標』という記事があって、今日はその5回目。ちょっと気になったので、そのまま引用させていただきます。

 『「艦船を白く塗り、自衛艦旗を国旗にしてはどうかと…」

 東京・六本木にあった防衛庁の事務次官室。統合幕僚会議議長と陸海空の三幕僚長に次官の依田智治がおもむろに切り出した。首相海部俊樹がそう言っているという。

 船体を白くして、自衛艦旗の「旭日旗」を日の丸に替え、軍事色を薄めようと考えたようだ。「とんでもない」「ばかげている」。統幕議長らは一斉に反発した。

 90年8月2日、イラクがクウェートに侵攻。「護憲ハト派」の海部は月末の記者会見で「自衛隊の海外進出は考えていない」と言い切り、政府は他国籍軍への資金拠出を決定する。

 しかし米国からの圧力と自民党内からの突き上げに、派遣せずの方針は揺らぐ。政府は10月、多国籍軍の後方支援などに自衛隊を参加させる国連平和協力法案を提出したが、野党の猛反発に遭い1ヵ月足らずで廃案に追い込まれた。

 依田が制服組幹部と会合を持ったのは、そのころだ。91年1月17日には湾岸戦争が起き、40日余りで終結。人的貢献は間に合わず、泥縄式に海上自衛隊掃海艇の派遣検討が始まった。

 「考えられない話もあったが、それが当時の空気。だけど掃海艇は最後のカード。とにかく出してくれ、と。議論はあまりなかった」と当時海上幕僚長の佐久間一。

 船を白く塗る話は消えたが、掃海舞台は機雷処理に参加した国の中で唯一、護衛艦を伴わず武器も最小限にとどめ、防御は米海軍に頼った。

 「停戦で安全だから出した。いけないことばかり並べたら何もできなかった」と海部は言う。

 だが「なし崩し」の批判の中で政府が、派遣に積極的な外務省などにひきすられ「安全」と言いくるめることに腐心したのが実態だった。

 海自掃海舞台はペルシャ湾で計34個の機雷を処理。約3ヵ月の任務を負え91年9月下旬、帰路に。不測の事態に備え現地で砂を買い掃海艇の艦橋に積んだ土のうはインド洋で捨てた。

 「東京から『余計なものは持って帰るな』と言われてね。ドボーン、ドボーンと葬送式をやった」と掃海部隊指揮官を務めた落合。「危険な海域」だった証拠の砂はペッパーソースの瓶に詰め、手元にある。

 米国から高く評価された掃海艇派遣。落合らの出発前に廃案になった法案は、国連平和維持活動(PKO)協力法案に衣替えし92年6月、成立した。(敬称略)』

 いつの間にか、イラクへ派遣されるのは当たり前。。。みたいな。そして、また派遣期間延長が決まりつつある。。。

バッハの教会カンタータ。。。

 全193曲を演奏した、福永吉宏さんのことが、今日の地元紙の『人』欄で紹介されていましたので、そのまま引用させて頂きます。。。

 『「ここまで来られたのはいい仲間がいたから。支えてくれた周囲のおかげ」。11月上旬、約18年かけてバッハの教会カンタータ193曲の全曲演奏を達成した。

 53回目となった最後のコンサートには小さな教会に普段の倍異常の約400人が集まった。初回から一緒に続けてきた4人や、関東や東北から演奏のたびに駆け付けたメンバーとともに大きな拍手を浴びた。

 1981年にプロの演奏家や声楽家仲間約40人で楽団「京都・バッハ・ゾリステン」を結成。毎週の礼拝のために作られた一連の声楽作品の全曲演奏を、指揮者として始めたのは1987年。31歳の時だった。「ずっと続ければ50歳ごろには終わるだろうと気軽な気持ちだった」

 コンサートで赤字がつづいたり、全パートの楽譜がそろっていない曲があったりと苦労の連続。「似た作品があると、作曲が間に合わず再利用したのかなと想像したり。バッハの軌跡をたどるようで楽しい作業だった」と振り返る。

 クラシック好きだった父の影響でレコードに囲まれて育った。11歳からフルートを始め、大阪芸大を卒業後、プロの演奏家に。大阪芸大で合唱の指導もしている。

 次はアマチュア合唱団でバッハに挑戦する計画だ。「バッハになじみがない人や子どもにも身近に感じてもらいたい。18年の経験をどう生かすかが課題だ」。声楽家で楽団のメンバーでもある妻と長男の3人家族。京都市出身。49歳。』

 同じ世代の人かこんな大活躍をされているのは読んでいて心地良い。近くならアマチュア合唱団の仲間入りをしたいところだけど。。。淡路島からではちょっと無理かなぁ。。。?

『自然の叫び 伝えたい』

 ミュージシャンの石井竜也さんのことを、3日付け地元紙のくらし欄で見つけました。記事にされたのは、佐藤 由里さんだとか。そのまま引用させていただきます。

 『米米CLUBのデビューから20周年、「米米ー」とソロのベストアルバムをそれぞれ、「米」「石」としてリリースした。インターネット投票で、ファンのリクエストが多かった曲を中心に30曲を選曲した。

 「ファンの応援があったからこそできた作品。作っている間、『米米ー』は本当に大切にされていたバンドだと実感した。完成した今、このアルバムは、ファンからのプレゼントのようにさえ思える」

 1985年、「米米ー」のボーカリストとしてデビューし、作詞作曲も担当。「君がいるだけで」で、日本レコード大賞を受賞した。97年にバンドを解散しソロに。映画監督やデザイナーなど、多岐にわたって才能を発揮している。

 「『米米ー』時代は、自作曲にメンバーのアイデアが次々と積み重なり、魅力的に成長するのが面白かった。ソロでは、共演したミュージシャンに刺激を受け、出会いの素晴らしさを感じている」

 愛知万博ではミュージカルをプロデュースし、自然の大切さを訴えた。

 「ふるさとは、自然豊かな茨城県。山がゴルフ場に変わるなど、自然が破壊される現実が悲しい。自分勝手に行動すると必ずしっぺ返しがくる。聞こえない自然の叫びに耳を傾けてほしい」

 そのミュージカルに出演した仲間とともに、自然との共存をテーマにしたコンサートを東京、愛知、大阪で開く。

 「着ぐるみの妖精が登場するミュージカル形式のコンサート。大人だけでなく子供たちにも見てもらい、ファンタジックな世界に浸ってもらえたら」

      ◇   ◇

 大阪公演は12月3日午後6時から、NHK大阪ホールで。発売は11月6日。キョードーチケットセンター 電話06・6233・8888』

「音楽のレッスン」

 というタイトルで音楽評論家で指揮者でもあられる宇野功芳氏が、地元紙の随想欄にメッセージを寄せていらっしゃいましたので、そのまま引用させて頂きます。

 『ぼくがヨーロッパの地を踏んだのは1971年のことだが、それ以来ほとんど毎年のように出かけている。最初のうちはもちろんドイツ、オーストリアが中心で、とくにモーツアルトやベートーヴェンが住んだウィーンに憧れたが、ここ10年はフランスだけにしぼることにした。シラク大統領が「イギリスの食事はフィンランドの次にまずい。料理の味がわからない国は信用できない」といったが、料理がまずいのは独墺も同じ。イタリアがまあまあだが、フランスには適わない。和食は3日もつづけると飽きる(旅館に泊ると分かる)、フレンチは毎日食べても絶対に飽きず、ワインも含め、その奥の深さは無限である。神戸には北野ホテル内にロワゾーの弟子が経営する名店があって、ときどき寄るが、東京の各レストランもパリに負けない店が増えた。日本人はよくフランス人のことを冷たいというが、とんでもない話で、それは表面だけ。一度仲良くなると、もうしつこいほど友人を大切にする。そうなってしまうのがいやで、わざと冷たく振る舞っている節さえ見られるのである。

 フランスからはイギリスもドイツも近い。今回はロンドンのクイーンズ・ギャラリーにあるフェルメールを見るために日帰りで往復したが、この「音楽のレッスン」は人によってはフェルメールのベスト・ワンに挙げる。ぼくのベスト・ワンはデン・バークの「デルフトの眺望」で、見るたびに涙が出るが、「音楽のレッスン」の品格の高さも比類なく、ベスト5に入るだろう。彼は音楽の教師の顔などには何の興味もなく、鍵盤に向かう少女の洋服とか背中の線、手前にある布地などに全精力を集中。しかも全体は別世界の静けさに包まれている。』

 さて、今日から11月。こちらのBlogとは随分ご無沙汰になっていて、相変わらずイラクでは爆弾テロが続いているという報道。一体いつになったら。。。気が滅入りそうな毎日を打ち過ごしてしまいました。

 毎月1日には市の広報が折り込みで入り、その中に、「市の芸術・文化振興に寄与 名誉市民・直原玉青さんが逝去」と題して、顔写真入りで紹介されていましたので、そのまま引用させて頂きます。

 『南あわじ市の名誉市民・直原玉青さん(本名=正・ただし、岡山県出身)が9月30日、大阪府守口市でお亡くなりになりました。101歳。

 直原さんは、帝国美術院展覧界や日本美術展覧会で画家としての地位を確立し、(社)日本南画院創立に尽力、現代南画の第一人者として理事長、会長を歴任されました。

 昭和55年に、国清禅寺・こくせいぜんじの住職となり、平静3年には滝川記念美術館「玉青館・ぎょくせいかん」に自らの作品「禅の牧牛 うしかひ草」「隠元禅師一代記」などの代表作を多数寄贈されるなど、市の芸術・文化振興に大きく貢献されました。

 平成6年9月に旧西淡町から名誉町民の称号が贈られ、合併により名誉市民として引き継がれていました。

 淡路島を心のふるさとと慕い、大きな足跡を残した直原さん。ご冥福をお祈りします。』

 さて、この『玉青館の特別展』として、◆阪神・姫路美術館等合同展覧会MUSEUMに行きたい!南あわじ市誕生記念「人のかたち・人のいとなみ」展の紹介がありましたので、併せて引用させて頂きます。

 『▽期間 11月3日(木)~12月11日(日)。美術鑑賞講座=11月20日(日)午後2時~(講師=小林希公民・兵庫県立美術館学芸員)

  ▽内容 県内美術館・博物館8館による連携事業。人間の姿や生活を主題とする絵画、彫刻、版画をあわせて45点の展示。小磯良平、鹿子木孟郎、ミロ、和田三造、元永定正、浜田知明、直原玉青など28人の作家の作品によって構成。

  ▽問い合わせ 玉青館 ?0799・36・2314』

 素敵な絵画の話題に目が留まりましたので、関連付けて、淡路島でもこんな素晴らしいイベントがあるんだ!ということをお伝えしたくて久々の登場となりました。深まり行く秋の一日、ロンドンまで出かけなくても、島内でこんな素晴らしい美術品に出会うことが出来るだなんて。。。
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